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アウシュビッツ -2-
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同行の一人が質問した

「『アンネの日記』のアンネの痕跡はありますか?」

ガイドのピンドールさんは

「アンネ・フランクという人はいました。
でも、その人があの日記のアンネかどうかを
確かめることは不可能です」

とそっけなく答えた。

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私は考え込んだ。
ここはユダヤ人だけでなく、ポーランドや他の人達も含む
150万余が犠牲者になっているんだ。
アウシュビッツといえばユダヤ人(だけ)という見方は必ずしも正しくない。
ナチズムの犯罪による犠牲について、
ことさらユダヤ人だけをクローズアップすることはなく、
日記のアンネにしてもここでは夥しい犠牲者のひとりにすぎないんだ。
クローズアップするならば犠牲者ひとりひとりがそうされなければならない。
ピンドールさんのそっけない態度はそう言っているように思えた。

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収容所内でもレジスタンス運動は密かにすすめられていた。
だが、見つかった者は、見せしめのために
仲間の眼前で射殺された。(花束のあるところ)

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金網の向こうに、絞首刑台が見える。

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3段ベット。一段にふたりが寝る。
ここはポーランド軍の旧兵舎を利用しているので住環境はいい方だろう。
だが、午後から行ったアウシュビッツ2と呼ばれる、ビルケナウは悲惨だった。

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親衛隊の部屋だろうか?
壁にヒトラーの写真が架けられている。
この辺になると、写真を撮りながら進む僕は皆から遠く取り残されていた。

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鉄条網には逃げ出せないように高圧の電流が流されていた。

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大量虐殺がおこなわれたガス室に入る。

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ここからチクロンBは投入された。(ストロボ使用)

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ガス殺された犠牲者達はこのように折り重なって死んでいた。
信じられないくらいの人数だ。
出口に殺到したためにこのようになっているのだろうか?

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死体を焼いた焼却炉。
あまりにも数が多い時には外に積み重ねられていたようだ。
ストロボを使用しているので明るいが、実際は薄暗い。

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前館長(2000年当時)のスモーレンさんと交流した。
彼は収容所内のレジスタンス運動の中心的役割を担った人だ。
生き残れたのは身体が特別頑丈だったわけではく、
過酷な労働現場から事務職に配置転換されたからだと言う。

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「生きてここから出られるという希望や展望はありましたか?」

という質問に対し

「生きて出られるとかよりも、ここアウシュビッツでいったい何がおこったのか、
後世の人々に伝えなければならないと思った。
私達の希望は未来に生きる子供達の上にあった」

と答えてくれた。

写真は外部の活動家達との連絡に使われた
タバコの巻き紙。びっしりと暗号文字が書かれていた。

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アウシュビッツ2と呼ばれるビルケナウ収容所行きのバス停。
学生風の若者が数多く訪れていた。


つづきます





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