昨日行った歴民館、
正式には「高知県立歴史民俗資料館」なんですが、
長宗我部氏が築いた岡豊城跡に建ってます。
それに敬意を表してというわけでもないでしょうけど
「長宗我部展示室」というのがあります。
もちろん、土佐の歴史を語る上で「長宗我部一族」を
外すことはできないわけなんですが、
展示室に「秀吉の覚書」なるものがありました。
これって最近話題の「公文書」ですよね。
公文書ってのはこうして残してこそ価値があるものなんですね。
そして、もしこれが「改ざん」されてたとなると
歴史のロマンもくそもあったもんやないなぁ・・・
と、郷土の先人に敬意を払いながら読んでました。
読んでも分からんかったけどw
僕には分からんかったけど、ちゃんと勉強した人には
その時代をちゃんと検証できる。素晴らしいことです。
それに比べ改ざんばかりの・・・やめとこw
まっこと困ったもんです。
また、土佐を統一した長宗我部元親 を中心としたビデオが
流れてましたが、秀吉軍(だったと思う)と戦うにあたって
「想像を絶する試練の始まりでもあった」・・・とナレーション。
と同時に、これからという時にここで終わりw
高知県貧乏だから予算がなかったのかな?
それと、元親を始め一族の嫁さんは全て「女」。
これはカネがないので調査終了やなくて
名前が確認できないんでしょうねえ。
いろいろと用事を済ませ、歴民館に着いたのは12時20分。
途中で昼飯食ていこと思ってたんですが、
かつては高松行きへの幹線道路も、高速ができてからは通る車も
減ったのか軒並み閉店してました。目立つのはコンビニのみ。
中には人気の店もあったのに。仕方ないので歴民館で食べよ、
と思ったらそこのレストランも閉店してました(笑)。
ま、お客さんがそがに押し寄せてくるような施設じゃないからね。
なので見学終わって昼飯は2時半くらい。
前回行った時、S田さんという、以前勤めてた写真屋で一緒だった
女性が受付にいました。写真屋を辞め、臨時で働いてたようです。
レストランで昼ごはんをごちそうになりました。
彼女はすませてたようだし仕事中だしで、僕だけ。
僕は「女におごってもらうなんて・・・」とかいう、
前近代的な思想は持ってないので遠慮なくごちそうになりました。
昔世話になったからだそうです。
世話になったのはお互い様なんだけどw
僕がその写真屋に勤めだして1年後、新人が入ることになりました。
東京の六◯木スタジオにいたそうです。
社長に給料を聞きました。
135000円。
オレと一緒やか。ー40年ほどの前の話ですー
年下で、海のもんとも山のもんとも分からんヤツがオレと同じ給料?
ヤーメタ。
というわけで辞表提出。
急がば急げw
理由は上記。
社長あせりまして
「おまえは1年経ったから給料大幅に上げるつもりやった」
とか言い訳w
いくら?
と聞きますに
15万
大幅かどうかは「?」やし、上がるならいいかなとも思ったけど
僕だけ上がってもイヤでしょ。
その時働いてたのは社長と嫁さんのほか従業員は
僕とS田さん、それと嫁さんのお姉さん。
お姉さんは別としてS田さんには同じ働く仲間として・・・ね。
なので
ありがたいけど、僕だけ上がるのはイヤやから、
新人にそれだけ出せるなら他の人も上げてくれたら残ります。
と。
社長は約束してくれ残留。
結果、S田さんが
毎年5000円しか上がってなかったけど今年は1万円あがってた。
ありがとう。
とお礼を言ってくれました。
お姉さんも上がってたそうです。
他の人は1万円アップで俺は1.5万。
やっぱり「大幅」ではないな・・・(笑)
で、その新人。当時流行りの新人類というんでしょうか、そんな感じ。
自宅が西方にあったので西方のお客さんの仕上がったプリンとなりを
持ち帰り、配達しながら会社に出勤してたのですが、ある台風の日、
何軒かの写真屋さんから
「プリントがまだ届かんが」
と苦情の電話。
もう家は出たはずなのに何しゆうろ?
と社長が自宅に電話。返ってきた返事が素晴らしい
「台風やき休みと思いました」
小学生かっちゅう感じ(*1)ですが社長も社長、
「すぐ出てこい」ではなく、僕に
「T橋の家に寄ってプリント預かり、配達してくれんか」
ですと。こりゃこりゃ、ですわ、まったく。
T橋の家っつったって、今見たく携帯で連絡とりながらや
Googleマップで確認して行けるわけでなく履歴書の地図頼り。
それでもなんとかたどり着き無事任務完了。
結局T橋は数ヶ月で辞め、そのあとに入ってきたM(*2)も素晴らしかった。
謙虚さの欠片もないふてぶてしい新人。
今回は年上だったけど。
物覚えも悪く何回教えても理解できない。
そのくせ
ビューカメラのアオリ機能を使えば、
画面全てに(絞り開放で)ピントをこさせることができる
などと、直前に勤めてた写真館のおっさんの
「教え」を信じて(*3)疑わないし、困ったもんでした。
あげく・・・僕が辞めたあとだけど・・・
会社イチの上得意の建設会社をとって辞めていく。
それはまあ、実力の世界だから仕方ないとして、
そんな辞め方しといて機材は借りにくるわプリントは出しにくるわ。
面の皮が厚いとは彼のこと。
そんな二人のその後は・・・
呪われた現在・・・ではなくって・・・
Mクン、例の建設会社の仕事が忙しく、超儲けてるそうです。
T橋くんは、僕が昔してた広告代理店の営業に聞いた話によると・・・
その代理店に飛び込みで営業に来、マンション業者の仕事を回したら、
撮影終了後そのマンション業者に直接売り込みに行き、
今では代理店を通さず直で仕事してるそうです。
まったく、仁義もクソもないヤツばかりで、困ったもんです(笑)
(*1)その小学校でさえ臨時休校になってなかったと記憶している
(*2)時々コメントしてるMとは別人です
(*3)多分誤解して覚えてるんだろうと思うけど、理屈からしてもくるはずない。
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正式には「高知県立歴史民俗資料館」なんですが、
長宗我部氏が築いた岡豊城跡に建ってます。
それに敬意を表してというわけでもないでしょうけど
「長宗我部展示室」というのがあります。
もちろん、土佐の歴史を語る上で「長宗我部一族」を
外すことはできないわけなんですが、
展示室に「秀吉の覚書」なるものがありました。
これって最近話題の「公文書」ですよね。
公文書ってのはこうして残してこそ価値があるものなんですね。
そして、もしこれが「改ざん」されてたとなると
歴史のロマンもくそもあったもんやないなぁ・・・
と、郷土の先人に敬意を払いながら読んでました。
読んでも分からんかったけどw
僕には分からんかったけど、ちゃんと勉強した人には
その時代をちゃんと検証できる。素晴らしいことです。
それに比べ改ざんばかりの・・・やめとこw
まっこと困ったもんです。
また、土佐を統一した長宗我部元親 を中心としたビデオが
流れてましたが、秀吉軍(だったと思う)と戦うにあたって
「想像を絶する試練の始まりでもあった」・・・とナレーション。
と同時に、これからという時にここで終わりw
高知県貧乏だから予算がなかったのかな?
それと、元親を始め一族の嫁さんは全て「女」。
これはカネがないので調査終了やなくて
名前が確認できないんでしょうねえ。
いろいろと用事を済ませ、歴民館に着いたのは12時20分。
途中で昼飯食ていこと思ってたんですが、
かつては高松行きへの幹線道路も、高速ができてからは通る車も
減ったのか軒並み閉店してました。目立つのはコンビニのみ。
中には人気の店もあったのに。仕方ないので歴民館で食べよ、
と思ったらそこのレストランも閉店してました(笑)。
ま、お客さんがそがに押し寄せてくるような施設じゃないからね。
なので見学終わって昼飯は2時半くらい。
前回行った時、S田さんという、以前勤めてた写真屋で一緒だった
女性が受付にいました。写真屋を辞め、臨時で働いてたようです。
レストランで昼ごはんをごちそうになりました。
彼女はすませてたようだし仕事中だしで、僕だけ。
僕は「女におごってもらうなんて・・・」とかいう、
前近代的な思想は持ってないので遠慮なくごちそうになりました。
昔世話になったからだそうです。
世話になったのはお互い様なんだけどw
僕がその写真屋に勤めだして1年後、新人が入ることになりました。
東京の六◯木スタジオにいたそうです。
社長に給料を聞きました。
135000円。
オレと一緒やか。ー40年ほどの前の話ですー
年下で、海のもんとも山のもんとも分からんヤツがオレと同じ給料?
ヤーメタ。
というわけで辞表提出。
急がば急げw
理由は上記。
社長あせりまして
「おまえは1年経ったから給料大幅に上げるつもりやった」
とか言い訳w
いくら?
と聞きますに
15万
大幅かどうかは「?」やし、上がるならいいかなとも思ったけど
僕だけ上がってもイヤでしょ。
その時働いてたのは社長と嫁さんのほか従業員は
僕とS田さん、それと嫁さんのお姉さん。
お姉さんは別としてS田さんには同じ働く仲間として・・・ね。
なので
ありがたいけど、僕だけ上がるのはイヤやから、
新人にそれだけ出せるなら他の人も上げてくれたら残ります。
と。
社長は約束してくれ残留。
結果、S田さんが
毎年5000円しか上がってなかったけど今年は1万円あがってた。
ありがとう。
とお礼を言ってくれました。
お姉さんも上がってたそうです。
他の人は1万円アップで俺は1.5万。
やっぱり「大幅」ではないな・・・(笑)
で、その新人。当時流行りの新人類というんでしょうか、そんな感じ。
自宅が西方にあったので西方のお客さんの仕上がったプリンとなりを
持ち帰り、配達しながら会社に出勤してたのですが、ある台風の日、
何軒かの写真屋さんから
「プリントがまだ届かんが」
と苦情の電話。
もう家は出たはずなのに何しゆうろ?
と社長が自宅に電話。返ってきた返事が素晴らしい
「台風やき休みと思いました」
小学生かっちゅう感じ(*1)ですが社長も社長、
「すぐ出てこい」ではなく、僕に
「T橋の家に寄ってプリント預かり、配達してくれんか」
ですと。こりゃこりゃ、ですわ、まったく。
T橋の家っつったって、今見たく携帯で連絡とりながらや
Googleマップで確認して行けるわけでなく履歴書の地図頼り。
それでもなんとかたどり着き無事任務完了。
結局T橋は数ヶ月で辞め、そのあとに入ってきたM(*2)も素晴らしかった。
謙虚さの欠片もないふてぶてしい新人。
今回は年上だったけど。
物覚えも悪く何回教えても理解できない。
そのくせ
ビューカメラのアオリ機能を使えば、
画面全てに(絞り開放で)ピントをこさせることができる
などと、直前に勤めてた写真館のおっさんの
「教え」を信じて(*3)疑わないし、困ったもんでした。
あげく・・・僕が辞めたあとだけど・・・
会社イチの上得意の建設会社をとって辞めていく。
それはまあ、実力の世界だから仕方ないとして、
そんな辞め方しといて機材は借りにくるわプリントは出しにくるわ。
面の皮が厚いとは彼のこと。
そんな二人のその後は・・・
呪われた現在・・・ではなくって・・・
Mクン、例の建設会社の仕事が忙しく、超儲けてるそうです。
T橋くんは、僕が昔してた広告代理店の営業に聞いた話によると・・・
その代理店に飛び込みで営業に来、マンション業者の仕事を回したら、
撮影終了後そのマンション業者に直接売り込みに行き、
今では代理店を通さず直で仕事してるそうです。
まったく、仁義もクソもないヤツばかりで、困ったもんです(笑)
(*1)その小学校でさえ臨時休校になってなかったと記憶している
(*2)時々コメントしてるMとは別人です
(*3)多分誤解して覚えてるんだろうと思うけど、理屈からしてもくるはずない。

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