重い写真
買った本なんかはその辺に適当に置いてるんですが、
たまに片付けます。
今日がその日でした。

で、セバスチャン・サルガドってカメラマンがいるんですが、
戦争や貧困を撮ってた頃の彼の写真は重いです

過去形で語ったのは、彼は一度カメラを置いてるからです。
世界各地の難民や紛争・戦争を撮る中で、
あまりに残虐な人間の行いに救いはなく、
生きる希望なども見出せなくなかった彼は
ノイローゼ気味となり、医者からも
「そんな写真ばかり撮ってたら死ぬぞ」
と警告されたからだと思われます。

そんな彼が、世界各地の美しい自然へと被写体を変え、
復活し、写真集『Genesis』としてまとめた、この本は特に重い。

20171012a.jpg


3.8キロもありますw
以前のように写真は重くはないです。
でも素晴らしい。
デジタルなのにモノクロバライタ仕上げのような感じです。

デジタルはぁ・・・などとデジタルを毛嫌いし、
さもフィルムが格上のような物言いをする人は、
技術のない者の言い訳でしかないことが、
この本を見ればよく分かります。

女友達はスペイン旅行時、ふらりと入った写真展がGENESISで、
あまりの感動で写真集を買って帰りたかったけど重すぎて断念。
帰国後Amazonで買ったとのこと。

なにせ、3.8キロですからw
僕もサルガドさんの写真展は東京で一度行ったことがあります。
写真はもちろんですけど「焼き」が本当に素晴らしい。
大きな写真が主だったので、彼が焼いたかどうかは
定かではないですが、独学なんですよね、彼。


報道カメラマンとジャーナリストとのちがいは、
単にそこにいるのではなく、そこに留まることなのです。


という彼は、事実、デスクが欲する「絵」が撮れるとわずか数日で
次の被写体を求め去っていかねばならない通信社のカメラマンを辞め、
フリーとなり、現場に留まり戦争やそれに続く飢餓貧困を撮りました。
彼の写真に一種の神々しさすら感じるのは、
そういった彼自身の「生き方」によるものだと思います。


サルガド「愛」の言葉より

対象と一緒にいること
敬意を持って撮る
興味のあることを撮らないといけない
画面の四隅を意識しなさい



僕も、サルガドさんのような写真はとうてい撮れないけど、
上の4つは常に意識しています。
たとえば綺麗な子を綺麗に撮るのは誰にでも撮れることで、
その子の「生活の中で」撮ってみたい。
そのためには被写体と自分の間にカーテンがあってはならず、
自分がそこに居、カメラを持っているにも関わらず相手は
無防備なまま自然に振る舞う。
「こんなとこまで撮るのぉ」といいながらもあくまで「日常」。
そういう間柄になった時に初めて「イイ」写真が撮れると思ってます。
他人がその写真をどう評価しようが興味ないです(笑)

で、僕が、自分の撮った写真を誰かに見てもらった時、
言われて一番うれしい言葉、
・・・前にも書いたとは思いますが、新しい方もおいでることだしw・・・

「ウマイね」「いいシャッターチャンスだね」「焼きがいいね」・・・

そんなことではなく

「(写真の被写体を、僕の)後ろに寄り添って一緒に見てるように感じた」

言われたことは一度だけ。
前出の女友達です。





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