fc2ブログ
アウシュビッツ -その3-
20170821a.jpg

53万坪という広さが想像できるだろうか。
写真中 A が午前中に行ったアウシュビッツ収容所。
B がこれから入らんとするビルケナウ収容所だ。
広大なその土地はなんと53万坪。
そこにナチスは10万人の囚人達を閉じ込めていた。
行く行くは20万人を収容する予定でいたという。

20170821b.jpg

入ってすぐの管理棟から右を見ると男性収容棟が見える。
まん中に鉄道引き込み線が通っていて、
それを境に男女が分けられていた。
男性収容棟はごらんのような木造だ。

20170821c.jpg

左を見ればレンガ造りの女性収容棟が。
手前の方には建物の跡しか残っていない。

20170821d.jpg

鉄道引き込み線と管理棟。

20170821e.jpg

見張り台も朽ち果てていた。
半世紀以上の時の流れを感じる。

20170821f.jpg

私達は女性収容棟の方へと入った。

20170821g.jpg

入ると同時に風が吹いてきた。
5月の風の爽やかさを私は感じた。
が、彼等にそれを感じるゆとりがあったのだろうか・・・

20170821h.jpg

このように、ほぼ完全な形で残っている建物は少ない。

20170821i.jpg

ナチスは退出時、証拠隠滅のため
あらゆる物を破壊して出て行った。
煙突だけが残った建物跡があちこちに見える。

20170821j.jpg

ここには300棟以上のバラックが建てられたが、
殆ど完全な形で残っているのは45棟のレンガ造りと
22棟の木造造り囚人棟だけだ。
前にも述べたように殆どをナチが破壊して退出した。

20170821k.jpg

女性収容棟内部。
うす暗い、家畜小屋のようだ。

20170821l.jpg

「3段ベット」と呼ばれていた寝床。
1段に8人が、腐ったわらの上に寝かされていた。
3段というからには一番下の段にも寝ていたのだろう。
下も悲惨だが雨ともなると上段も悲惨だ。雨が漏るから。

20170821m.jpg

天井部分。
瓦がむき出しになっている。当然雨は漏る。

20170821n.jpg

馬か牛の餌場かと思ったら人間の洗面所だった。
邪口の数を数えると32個あった。
これを4000人が使用した。
ひとり20秒ときめられていたので、
全員が洗い終わるのには
単純に計算しただけでも42分もかかってしまう。
なお、身体は洗えなかった。

20170821o.jpg

ここはトイレです。これも4000人が使用した。

20170821p.jpg

説明を受ける一行。
まん中あたりにいる男性がガイドのピンドールさん。
左端の女性が添乗員。
学生のころからリュックを担いで
世界を回っていたという行動派の女性。
素敵な女性だった。

20170821q.jpg

国旗を持った、修学旅行生らしきイスラエルの若者達が
破壊されたガス室の回りにいた。
民族主義的で、ちょっとイヤな気持ちになった。
ピンドールさんも顔をしかめていた。

20170821r.jpg

破壊された、ガス室の内部。

20170821s.jpg

同じく、破壊されたガス室。

20170821t.jpg

男性収容棟。
もともとは52頭分の馬小屋。
今回は時間がなくて見学はできなかった。



ポーランドでは14歳になるまではアウシュビッツを見学させない。
認識が不十分な段階では誤った見方をする恐れもあり、
逆効果を考えてのことだという。
そのかわり、それまでに学校できちんと教え、
授業の一環として見に行くそうだ。
もちろん、親の責任において連れて行くのはいくつでもかまわない。

日本の場合はどうだろうか?
広島や長崎の原爆資料館に、修学旅行で行くのは確かだ。
だが、私は写真屋として付き添った数少ない経験でしか言えないが、
余りにも時間が少なすぎはしないか。
ガイドも付いていない。
各自がバラバラに見て、果たして理解が深まるだろうか?

「ここへは学習した後で、何をするべきかを教えてくれる教師と来るべきです。
そして、彼等の過去の歴史に涙するのではなく、独自の考えを持って欲しい」

博物館教育部長の言葉は、僕の胸奥にしみこんだ。

20170821u.jpg

アウシュビッツ・・・終り





←クリックお願いします(m_m)

ーこのブログについてー
★写真はクリックすれば大きくなります。
★斜体で、アンダーラインのある文字をクリックするとリンク先に飛びます。
(例)こっちだよ


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する