最後のリーク画像。

なかなかイイですねえ(笑)
モロFM。
FMは使ったことないです。
ニコマート系で使ったのはニコンEL2と同FA。
FAのマルチパターン測光は優秀でしたね。
逆光でも自分が思う値と同じなので、
オート露出でもけっこう撮りました。
ボディはいいけどレンズがね、イマイチ。
でも昔を懐かしむジジイはそう思うかもしれませんが、
今回のターゲットはニコ爺よりカメラ女子のようです。

Dfは話題にはなりましたがそんなに売れなかったけど、
Zfcはけっこう売れるかもしれませんね。
僕はZ30を待ちますけど。
オススメYouTubeに「高校教師2003」が出てきたので見てますけど、
肝心なところで音声がオフになる。
削除されないための策なんだろうけど見る気が削がれます。
今回の主題歌および挿入歌も森田童子。
彼女の歌は暗いとよく言われますが、そうかなぁ?
僕には生きる希望が湧いてくるんだけどな。
あ、分かってくれてる人がいるんだって。
例えばこれなんか
森田童子がデビューした西荻窪ロフト経営者の平野悠氏は、
出会いを以下のように記しています。
<前略>
73年夏に近い梅雨の蒸し暑い夕方だった。一人の無名な少女が西荻窪ロフトにやって来て「私にも歌えるのでしょうか』と一本のテープとともに静かに控えめに聞いて来たことを今でも覚えている。
私は彼女のテープを聴いて、何とも暗い歌だが、その歌詞の内容が私の青春時代とものすごくリンクしていて、びっくりしながら聴いていた。
76年から80年代はまさにロックの時代だった。新宿ロフトは全盛でロフトに出なければロッカーじゃないとまで言われた時代だ。
ブック担当者からは「今、森田童子なんてスケジュールに入れたら業界から笑われます」とまで言われて絶句したことがあった。
彼女はとても不思議な人だった。いつも孤立無援だったような?
「君の過去に一体何があったんだ。こんな詩誰もが書けるものじゃない」と何度か彼女に聞いたことがあった。そんな時彼女はニコッと笑って話題をそらした。
多くのロックファンやライブハウスの中で私一人が森田童子を支持していた感があった。
森田童子はステージであまり上手くないギターを弾きながらいつも本当にたくさんの涙を出しながら歌っていた。それが演技ではないことをステージ横でいつも見ている私は知っていた。
<後略>

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