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カッコいいです
Z9がやはりオリンピックでテストされてるようで、
その背面画像がデジカメインフォに掲載されてました。

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カッコいいですねえ。
いかにも「プロ仕様」って感じです。
こりゃ買わなきゃw
Z7とは違ってWBなんかも独立ボタンになってるし、
再生ボタンが初めて右側になり、使いやすそうです。

瞳フォーカスが付き、画面全面にフォーカスポイントのある
ミラーレスでは親指フォーカスは基本使わないので
サブセレクターはAFONボタンの位置にあると嬉しいんだけどな。
サブセレクターでフォーカスポイントの移動をするとき、
今の位置ではちょっいし辛い。AFONボタンの位置なら最高。
写真と動画切り替えボタンなんかめったに使わないから
今の位置でなくてもよいので、そこにサブセレクターがあってもいい。

でもカメラの使い勝手なんて人それぞれ違うし、
オリンピック撮ったりするようなスポーツ写真のプロ中のプロには
これがいいのかもしれません。

20210730a.jpg

車のサイドミラーに蜘蛛が・・・(゚∀゚)
蜘蛛とかムカデは苦手です。





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いちばん大切なものを保管する場所
デイキャンプ終了。
3日間お暑ぅごさいました。
暑いというより「熱い」の方が正しいような
ジリジリと照りつける暑さでした。
でも昨日はちょっとマシでしたね。
慣れかな?(笑)

「密」を少なくしようということで園児はバス2台に分乗してました。
ひとつの座席に一人の園児が基本です。
先乗りの先生用のバスも必要なのでバスは計3台。
自分とこの園バスだけでは足りず姉妹園からの応援を仰いでました。
で、そのバスの運転手さんが高校野球の話をしてくるんですよ。
こっちは興味がないのに。
それが終わると大リーグの大谷の話。
これも興味なしw
次に自分が以前勤めてた高校の野球部の話。
成績が悪いと監督がすぐにクビを切られるため
毎年のように監督が変わっているとか。
練習中でも理事長が監督を怒鳴りまくっていたそうで
あれじゃ生徒が監督を信じてついていかんわねえ・・・
などと話してました。こっちは興味津々w

どういうわけかオリンピックの話は出なかったなあ。
オリンピックと言えばZ9のテストもされてるんでしょうね。
僕はといえばZ6Ⅱをいろんな使い方で試してみました。

20210728a.jpg

ブランコにどこまでAFが追従するかのテストです。
共通データは

Z6Ⅱ
24-200mm(24mmで撮影)
ISO400
1/500S
F6.3
秒間5コマの連写モード
ワイドエリアAF(L-人物)

です。
最後の2カットはけっこう間近まで近寄ってて、
等倍で見れば甘いところもありますが
被写体ブレを考慮すると合格の範囲かな?
という感じです。

ワイドエリアAF(L-人物)というのは「瞳フォーカス」で、
エリア内の瞳を見つけてピントを合わせ続けてくれます。
一人の人物を撮るときには便利このうえない。

この子に限らず十数人でテストした結果、
D500はもういらねぇな・・・と(笑)
風俗嬢もZ6Ⅱで撮るようにしよう。
D500は長男にあげよう。
完全にミラーレスに移行です。
まだまだプアーマンズD5であるD500の方が、
暗所や逆光でのAF性能や連写スピードはZ6Ⅱより上だけど、
連写はそんなに必要ないし、暗所は風俗嬢撮影だけだし、
逆光も合わないほどの逆光ってめったにないし・・・ということで
仕事での撮影スタイルとしてはミラーレスの方が有利なのです。
Z7を下取りにしてZ7Ⅱにすることも考えましたが、
それならそれにあと40万も出せばZ9になるじゃないか・・・
とか考えてたら楽しくなってきました。
そのときにはS3もローライも処分するかもしれません。
血尿も出たことだし、いつ死ぬか分からないので
フィルムカメラを残しても遺族が困るだけですからね。
そんな例いくつも見てきましたし。

カメラとは関係ないけど、一番おかしかったのは

「この金庫に触れてはならない」

としつこいほど言い続け亡くなった社長がいました。
死んじゃったなら開けないわけにはいかないけど、
拳銃でもでてきたらどうしよう・・・・
とか考えたわけですね、遺族の方たちは。
なにせ若い頃は相当やんちゃな方だったようですから、その社長。
で、おそるおそる開けると・・・
エロビデオがた~くさん大切に保管されてましたとさw
拍子抜けしたそうです。






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アウシュビッツ -その3-
20170821a.jpg

53万坪という広さが想像できるだろうか。
写真中 A が午前中に行ったアウシュビッツ収容所。
B がこれから入らんとするビルケナウ収容所だ。
広大なその土地はなんと53万坪。
そこにナチスは10万人の囚人達を閉じ込めていた。
行く行くは20万人を収容する予定でいたという。

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入ってすぐの管理棟から右を見ると男性収容棟が見える。
まん中に鉄道引き込み線が通っていて、
それを境に男女が分けられていた。
男性収容棟はごらんのような木造だ。

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左を見ればレンガ造りの女性収容棟が。
手前の方には建物の跡しか残っていない。

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鉄道引き込み線と管理棟。

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見張り台も朽ち果てていた。
半世紀以上の時の流れを感じる。

20170821f.jpg

私達は女性収容棟の方へと入った。

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入ると同時に風が吹いてきた。
5月の風の爽やかさを私は感じた。
が、彼等にそれを感じるゆとりがあったのだろうか・・・

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このように、ほぼ完全な形で残っている建物は少ない。

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ナチスは退出時、証拠隠滅のため
あらゆる物を破壊して出て行った。
煙突だけが残った建物跡があちこちに見える。

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ここには300棟以上のバラックが建てられたが、
殆ど完全な形で残っているのは45棟のレンガ造りと
22棟の木造造り囚人棟だけだ。
前にも述べたように殆どをナチが破壊して退出した。

20170821k.jpg

女性収容棟内部。
うす暗い、家畜小屋のようだ。

20170821l.jpg

「3段ベット」と呼ばれていた寝床。
1段に8人が、腐ったわらの上に寝かされていた。
3段というからには一番下の段にも寝ていたのだろう。
下も悲惨だが雨ともなると上段も悲惨だ。雨が漏るから。

20170821m.jpg

天井部分。
瓦がむき出しになっている。当然雨は漏る。

20170821n.jpg

馬か牛の餌場かと思ったら人間の洗面所だった。
邪口の数を数えると32個あった。
これを4000人が使用した。
ひとり20秒ときめられていたので、
全員が洗い終わるのには
単純に計算しただけでも42分もかかってしまう。
なお、身体は洗えなかった。

20170821o.jpg

ここはトイレです。これも4000人が使用した。

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説明を受ける一行。
まん中あたりにいる男性がガイドのピンドールさん。
左端の女性が添乗員。
学生のころからリュックを担いで
世界を回っていたという行動派の女性。
素敵な女性だった。

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国旗を持った、修学旅行生らしきイスラエルの若者達が
破壊されたガス室の回りにいた。
民族主義的で、ちょっとイヤな気持ちになった。
ピンドールさんも顔をしかめていた。

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破壊された、ガス室の内部。

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同じく、破壊されたガス室。

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男性収容棟。
もともとは52頭分の馬小屋。
今回は時間がなくて見学はできなかった。



ポーランドでは14歳になるまではアウシュビッツを見学させない。
認識が不十分な段階では誤った見方をする恐れもあり、
逆効果を考えてのことだという。
そのかわり、それまでに学校できちんと教え、
授業の一環として見に行くそうだ。
もちろん、親の責任において連れて行くのはいくつでもかまわない。

日本の場合はどうだろうか?
広島や長崎の原爆資料館に、修学旅行で行くのは確かだ。
だが、私は写真屋として付き添った数少ない経験でしか言えないが、
余りにも時間が少なすぎはしないか。
ガイドも付いていない。
各自がバラバラに見て、果たして理解が深まるだろうか?

「ここへは学習した後で、何をするべきかを教えてくれる教師と来るべきです。
そして、彼等の過去の歴史に涙するのではなく、独自の考えを持って欲しい」

博物館教育部長の言葉は、僕の胸奥にしみこんだ。

20170821u.jpg

アウシュビッツ・・・終り





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アウシュビッツ -その2-
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同行の一人が質問した

「『アンネの日記』のアンネの痕跡はありますか?」

ガイドのピンドールさんは

「アンネ・フランクという人はいました。
でも、その人があの日記のアンネかどうかを
確かめることは不可能です」

とそっけなく答えた。

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私は考え込んだ。
ここはユダヤ人だけでなく、ポーランドや他の人達も含む
150万余が犠牲者になっているんだ。
アウシュビッツといえばユダヤ人(だけ)という見方は必ずしも正しくない。
ナチズムの犯罪による犠牲について、
ことさらユダヤ人だけをクローズアップすることはなく、
日記のアンネにしてもここでは夥しい犠牲者のひとりにすぎないんだ。
クローズアップするならば犠牲者ひとりひとりがそうされなければならない。
ピンドールさんのそっけない態度はそう言っているように思えた。

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収容所内でもレジスタンス運動は密かにすすめられていた。
だが、見つかった者は、見せしめのために
仲間の眼前で射殺された。(花束のあるところ)

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金網の向こうに、絞首刑台が見える。

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3段ベット。一段にふたりが寝る。
ここはポーランド軍の旧兵舎を利用しているので住環境はいい方だろう。
だが、午後から行ったアウシュビッツ2と呼ばれる、ビルケナウは悲惨だった。

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親衛隊の部屋だろうか?
壁にヒトラーの写真が架けられている。
この辺になると、写真を撮りながら進む僕は皆から遠く取り残されていた。

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鉄条網には逃げ出せないように高圧の電流が流されていた。

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大量虐殺がおこなわれたガス室に入る。

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ここからチクロンBは投入された。(ストロボ使用)

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ガス殺された犠牲者達はこのように折り重なって死んでいた。
信じられないくらいの人数だ。
出口に殺到したためにこのようになっているのだろうか?

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死体を焼いた焼却炉。
あまりにも数が多い時には外に積み重ねられていたようだ。
ストロボを使用しているので明るいが、実際は薄暗い。

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前館長(2000年当時)のスモーレンさんと交流した。
彼は収容所内のレジスタンス運動の中心的役割を担った人だ。
生き残れたのは身体が特別頑丈だったわけではく、
過酷な労働現場から事務職に配置転換されたからだと言う。

20170820o.jpg

「生きてここから出られるという希望や展望はありましたか?」

という質問に対し

「生きて出られるとかよりも、ここアウシュビッツでいったい何がおこったのか、
後世の人々に伝えなければならないと思った。
私達の希望は未来に生きる子供達の上にあった」

と答えてくれた。

写真は外部の活動家達との連絡に使われた
タバコの巻き紙。びっしりと暗号文字が書かれていた。

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アウシュビッツ2と呼ばれるビルケナウ収容所行きのバス停。
学生風の若者が数多く訪れていた。


つづきます





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アウシュビッツ -その1-
今日から3日間、夏恒例の海行きです。
幼稚園のデイキャンプ。
次の日もあるし、帰ってからの日記アップはシンドイので
予約投稿です。

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20世紀最後の夏、アウシュビッツへ行ってきました。
終戦記念日前後、テレビなどでは突然戦争特集になります。
まるで夏の風物詩って感じです。
でも、それらの多くは戦争の悲惨さを伝えるだけです。
それでいいのだろうか?
と、夏が来る度に僕は思います。

なぜ戦争を止めることができなかったのか?
戦争に反対した日本人はいなかったのか?
日本でレジスタンス運動はおこらなかったのか?

反対した日本人はいたしレジスタンス運動もおこった。
なぜそれを教えないのか伝えないのか。
外国のレジスタンス運動は英雄的に取り上げるのに、
本当に疑問です。

「団体旅行」で許される範囲内での行動です。
本などで見る写真とは比べ物になりませんし
僕はアウシュビッツについての研究者でもなんでもありません。
ここに記していく事柄は現地のガイドさんに聞いた事が主です。
なお、2000年当時の貧弱なPC環境での作業ゆえ、
写真のサイズも小さく、見づらいですがご勘弁を・・・


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「働けば自由になれる」と書かれた皮肉なプレートをくぐり抜け、
収容所内へと入って行った。

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女性がひとり放心状態で座っていた。
あまりの悲惨さにやりきれなくなったのだろうか?

どんな場所に行ったとしても、素敵な女性がいれば
レンズを向けてしまう私です・・・^^;

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ナチは、強制労働につかす囚人達を鼓舞するべく、
捕虜の中から音楽経験者を選びだして楽団を結成し、
朝夕演奏させたそうだ。

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「この捕虜収容所にはヨーロッパのいたる所から囚人が送り込まれた」
という事を表した図。中央の丸印がアウシュビッツ。
アウシュビッツという名は占領したナチがつけたもので、
元の地名はオシフィエンチム市という。今はもちろん後者だ。
解説を聞き、日本も同時代に朝鮮に対して同じ事をしたのを思い出した。
侵略者というのはする事が一緒だ。

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ナチがこの地を強制収容所に選んだ理由として

・ポーランド軍の基地があったためその兵舎を利用することができた
・ふたつの川に挟まれていたため隔離するのに都合がよかった
・線路が通っていたため、大量に送り込むのに便利だった

などがあげられる。
写真で見るとおり、思ったよりきれいな事に驚かされた。
が、その思いは、午後にはくつがえされた。

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当初ナチは、このように写真を撮って囚人達を管理した。
しかし、大量に送り込まれるようになると時間と経費の
節約のために、腕への入れ墨に切り替えた。
幼い子供の写真もあった。

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死体を焼いている写真。
こういった写真が残っていること事体が珍しいそうだ。
というのも、ナチは退却の時、証拠隠滅のためにあらゆる
資料を焼却して出て行った。
そんな中の、かろうじて焼け残った写真の一枚だ。

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こういった、オブジェ的展示品は少ない。

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大量虐殺に使用されたチクロンB。

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クツの山。
いったい何万足のくつがあるのだろうか。
犠牲となった人々一人ひとりが残したモノは、
圧倒的迫力で見る者を襲う。

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義足類。
身障者も容赦なく連行された。
いや、戦争になると社会的弱者こそがまず抹殺される。
日本でもそうだったではないか。

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可愛かったであろう子供の、
小さな洋服やおしゃぶりが見る者の涙を誘う。
いったい彼等に、虐殺されるべき何の罪があったというのか。

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食器類。
ナチは、連行するにあたり持ち込む荷物の重量を制限した。
収容者はとうぜん軽くて高価な貴金属類を持ち込む。
彼等はそれらをかたっぱしから掠奪した。

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かごやボストンバック類。
ここは悲惨さを売り物にしたりはしていない。
ただ事実だけが展示されている。
だが、その事実を直視する事により、
侵略者への強い怒りが湧いてくる。

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メガネの山。

20170819q.jpg

司祭の服で作った布。

   *********

ガイドのピンドールさんの話によるとナチスは当初、
アウシュビッツをユダヤ人虐殺のために作ったわけではなく、
ポーランド人の政治犯を収容するために作ったそうだ。
そして、アウシュビッツがポーランドにあるために、
大量虐殺を行ったのはポーランド人だという
誤った認識を持つ若者が増えているらしい。

なお、ピンドールさんは日本留学の経験もあり、日本語はペラペラでしたw


つづきます



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真っ赤に燃えたぁ〜
一週間のご無沙汰です。
先週の金曜日(*1)、尿に若干赤い色が混じってまして

なんだこれは!血尿じゃないか!

ちょっと焦りました。
病院行くにも夜だし、明日明後日は休みなので
様子をみることとし、とりあえず「血尿」をネット検索。
膀胱がんのおそれもある・・・などという怖い記述も。
病院行って即入院なんてことになったらたまらんので、
撮影終わった合成処理を頑張ってました。

とはいっても血尿以外に異変はないし、
しかもどす黒い赤色ではなく紅生姜みたいな綺麗な色だし、
常連さんのブログで排尿を我慢しただけでも血尿が出ることを知り、
こりゃ「ガン」とかじゃないだろうと得意の「楽観論」に思考は傾き
病院行かなくてもいいかな?と週が開けても行きませんでした。
撮影があったりで忙しかったしね。

で、5-ALAを飲みだして尿の色が黄色くなってたので
その延長で「赤」に変わったのかな?と思い5-ALAの摂取をやめ、
ひょっとしたら尿道結石というヤツかもしれんと
コンニャクを毎日食べてたら5日くらいで収まりました。
それから5日たっても赤く染まってないのでもう大丈夫だと思います。


Df用というわけではないけど
50mmF1.8レンズのフィルターが来ました。

20210725a.jpg
<今回のは「ARCREST」ではなく安いヤツ>

レンズの前にいらんもん(*2)付けるのは良くないと、
フィルター否定派の方はおっしゃいますが
僕は「付ける」派。安心志向w
デジタルになってからはそうでもありませんが
フィルム時代の機材の取扱いは雑だったので
気づくとフィルターがすり傷だらけということもありました。
フィルター付けてなかったら恐ろしいw

20210725b.jpg

Dfに限らずデジ一眼はフィルム一眼と比べボディが分厚いので
グリップが必須だけど、Dfの貧弱グリップではこのくらいのレンズが限度かな?
Z fcはボディが薄いのでバランス良さそうです。
28mm以外は付ける気ありませんが。





(*1)私の週の始まりは月曜日。したがって先週の金曜日は16日です。

(*2)余計なもの、必要ないもの。




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延期です
オリンピックの開会式楽曲制作担当者も辞任だそうで、
パクリロゴから始まって不祥事の祭典ですね。
辞任言い出す前に解任しろよ。

Z fcの発売日が7月23日に決定しました♪
ですが「28mm Special Edition キット」の発売は延期だそうで、
僕のZ fcはいつになるんでしょう。
9月は無理っぽい。
ちなみに「Zfc」ではなく「Z fc」が正解のようです。
「キヤノン」も「キャノン」ではありません。


棺桶に少なくとも片足くらいは突っ込んだ年になり、
やりたかったことは大概やってきましたがただひとつ、
キャンピングカーで日本一周というのはできなかったな。
柳沢信みたく旅をして写真を撮り、
それで食っていきたかった。
ま、才能がなかっただけですけどw

軽四キャンパーが増えてるようです。
なかには日本一周を目指してるキャンパーも。
このカップルもそんな中の一組。
でも他の方たちと違うのは「のんびり旅」。
鹿児島に二ヶ月滞在したとか。
再会した方に
「あんた達まだ九州にいたの?」
とか言われたりしてますw



海外留学に行こうと会社を辞めたはいいけどコロナで行けなくなり、
ならばとかねてからしたかった日本一周に目標切り替え。
軽バンを中古で買い三ヶ月かけてDIY。
仕事は辞めてるので時間はあるし、
留学費用として貯めてた金を軽バンにつぎ込んだそうです。



動画内で出てくるアニメーションや音楽も自作だそうで、
大変楽しい二人です。




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50mmスペシャル・エディション買いました
ニコン系YouTuberの方たちは、
ニコンからの提供を受けてZfc一色ですが、
私にはそんなものはないのでDfのレンズを買ってみました。
50mmのスペシャル・エディションです。
もちろん中古。
キタムラのネットショップで購入してたものが、
今日、地元のキタムラに届きました。

持った第一印象。
「軽!」
装着した第一印象。
「そんなにカッコよくない」

20210718a.jpg
<50mm付き>

今までつけてた28mmF2.8が283g(フード付き)。
今度の50mmは226gです。
28mmは昔のレンズなので金属が多いのかな?

20210718b.jpg
<28mm付き。これが一番似合ってる>

やっぱり28mmの方がしっくりきますね。
でもマニュアルフォーカスなんでピントが合わせられないんですよ。
外ならまだしも室内ではね。
Dfは他のカメラに比べマット面が粗くMFでも合わせやすいんですが、
室内になるともうダメです。自信がない。

じゃあAFの28mmにすりゃいいじゃんって話ですけどコレがカッコ悪い。
Dfに似合わない。
それに、年取って標準域の画角が妙に新鮮で、
おまけに28mmは画角の隅々まで目が行き届かなくなってきた。

なのでDf用に作られたこのスペシャル・エディションにしたのです。
でも「絞り」がないので使いづらい。
Dfの電子絞り用のダイヤルは回しづらいんです。
横回転ではなく縦回転なのです。
デザイン優先なんでしょうがココはちょっといただけないところです。

20210718c.jpg

参考までにF2に付けてる28mmF3.5ですが、
ここまで古いとDfには似合いませんね、多分。
付けたことがないので「多分」です。



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バッハはバッカ
障害者を虐めていたことを得意げに自慢するヤツが
パラリンピックの音楽を担当するなんて、
程度の低いギャグだよな、と思ってたら
Yahoo!ニュースにこんなギャグが
コチラ

20210718.jpg

「7月1日から16日まで1600名ほどの選手、関係者、
メディアが日本に到着した中で15人しか陽性になっていない。
わずか0・01%だ」と感染対策に問題がない認識を強調した。


1%だろ。
バカか。
少なく言いたい気持ちは分かるけどね。
まさかドイツと日本で、
「%」の算出法が違うなんてことはないだろう。


ミニコミ誌に勤めてた頃(22歳くらいかな?)、
阪急ブレーブスの春季キャンプに取材に行き、
そこで写真学校の同級生に会った。
日刊スポーツに就職したらしい。スゴイね。
で、山口高志が入団したばかりで、彼、
山口氏にポーズをとらせ写真を撮りだした。
僕もあとから撮らせてもらったけど、
編集長から

「よくこんな写真が撮れたな」

と褒められた。
同級生の存在は内緒にした(笑)




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入店禁止
こんなんあった。
コチラ

20210717.jpg

22歳だったかな?
彼女と喫茶店(カフェレストラン?)に入ろうとし、
ドアを開けると大きな声が聞こえた。
聞こえたけど何言ったのか聞き取れなかったので
空席の方に進もうとすると再度怒声が

「入って来んな」

え?オレか?
と思い声の方を見ると、店主らしき人物が怒ってる。

「お前みたいなヤツは入るな。
ドアに書いちゅうろうが」

三度も怒鳴られてしまったw
なにぃ?と思って外に出、ドアを見ると、
A4くらいの紙に

男のくせに女みたいに髪を伸ばしたヤツは入店禁止

てなことを書いていた。
いちいちこんなん見て入らんし。

20210717b.jpg
<新宿の中古屋で買ったニコンS2>

「こんなコマイ(小さい)紙に書いても誰も気づかん。
書くならもっとでかい紙に書け!」

とやり返し、仕方ないので他へ行ったけど、
その店すぐなくなりました。
移転したのか潰れたのかは知りません。

件の店は、末永く続いてほしいものです。



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