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知らないって怖い
次男家族は今朝帰りました。
一昨日昨日とは足摺近辺。
台風の影響でどうかな?と思ってた
足摺海底館(海中展望塔) にも入館できたようで、良かったです。
和歌山にも同じような施設があり、今年の3月に行ったようですが、
天気は良かったけど水中の透明度が悪く、
入っても見れないとのことだったので諦めたそうで、
なので、なおさら幸運でした。


20180731a.jpg

孫は柱登りが好きですw
手でつかめる、アスレチックのポールなんかだと
腕の力だけで、足を使わず登ります。
小3の同級生が「どうやって登るの?」と聞いてくるそうですが
「分かんない」と答えてるそうで、自分がなんなくできることって、
他人には教えられないですよね。できないことが「不思議」ですから。

測量会社でバイトしてた頃、
四国電力の送電線の鉄塔建てるための測量もしてたんですが、
白い「対標」と呼ばれてた標識を立てによく行ってました。
平地だと楽なんですが山だと大変。
そのへんの一番高い木に登り、枝を少々払い、
飛行機から見えるような位置に対標をくくりつけるわけです。
で、対標から地面までの距離を測りその場所は完了です。

山間部に泊まり込みの出張で入った初日

「TAMARA、仕事覚えたやろ。おまえ今日から班長な」

と責任者のS古さん。
え?オレ、バイトやぜと思ったもののそんなん通用する人やないw
班長の下には2人くらいの人足(*1)がつくわけですが、
僕の場合は地元のじいちゃん2人。
当時ワタクシ20歳そこそこ。じいちゃんは多分今の僕くらい。
つまりは60半ば。3倍くらい年上の方を使うわけです。
バイト人生だったので人を使ったこともない僕がいきなり3倍満w
それでもまぁ、じいちゃん達と3人組で

「この木にしようかね」

と登るわけですが、手が回らないほど幹が太いw
どうやって登ったのか忘れましたがどうにかこうにか1本終了。
夏だし、もうゼェゼェです。

しばらく歩き、次はここにしようと荷を下ろす。
すると一人のじいちゃんが「ワシが登ろうか?」・・・と。
見かねたのか?w
まあしかし、いくらなんでも
じいちゃんバイトやし(オレもやけどじいちゃん達は知らないw)
じいちゃんはじいちゃんやし、大丈夫かいな?と思ってたら

「平気平気」

と登りだした。
手が届かないけどロープを幹に回し、そのロープの両端を持ち、
ロープを幹に引っ掛けながらホイサホイサと登っていく。
猿かよw
上手いもんですw
ま、最初からこのじいさん達のほうがオレより木登りうまそうや、
とは思ってましたけど期待値以上w

で、てっぺん近くまで上り詰め、
腰からぶら下げていたロープに対標をくくりつけ、
上から引っぱりあげてもらいそれを木にしばりつけ作業は無事完了。
はぇえよw

と、登ってるじいちゃんが木を揺すりだした。
揺するというか、上で反動をつけている。
そのため木がゆ〜らゆら。
そうこうしてるうちに隣の木に近づき、隣の木の枝を掴み乗り移った。
ムササビかよw



こっちは仕事そっちのけで拍手喝采ですw
S古さん見てないしw
調子に乗ったじいちゃん

「こんなこともできるぞ」

と、枝がない下の方の幹で下向きに体勢を変えると
そのまま真っ逆さまにすすすすすーーーっと木伝いに「落下」し、
地面直前でストップ。クルッと半回転し地面に降り立ちました。
リスかよw

それからは二人のじいちゃんが代わりばんこに木登り役w
思ったより早くに任務完了し

「さすがTAMARA、オレが見込んだことはある」

と、事情を知らないS古さんに褒められましたw

20180731b.jpg



(*)僕もそれまでは「人足」だったのですが、班長に「出世」したわけですw





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緊急時に音声ガイダンス・・・このセンス
先日のレガシィスタック騒動なんですが、
ロードサービス呼ぶのに保険が適用されるなんて知らなかったから
知ってるロードサービスにまず電話したわけです。
私→保険会社→ロードサービスが普通の流れらしいですけど。

そしたら、すぐ出動はするけど、
保険内容によっては保険が適用される場合とされない場合が
あるので保険会社に確認して欲しいと言われたので、
ロードサービスに聞いた、保険会社の電話番号に電話しました。

音声ガイダンスっていうんですかね?
なになにの方は「1」を、これこれの方は「2」を・・・
とか流れるヤツ。それが流れまして、
この非常時になんだよと思いつつ、「1」「2」と押しました。
担当が出、

「スタックし、ロードサービスを呼んだけど云々」

と、ロードサービスに言われたように問い合わせました。
そしたら

「脱輪は適用されるけどスタックは適用されない」

という応え。
ん?どう違うんだ?と聞き直す

「脱輪とは側溝に落ちたような場合を言います・・・・・」

うーん・・・・
砂利に起伏がありそこにのめり込んだ。
起伏を側溝と考えることもできる。
しかも右後輪は浮いている。
これはスタックなのか脱輪なのか、素人には分からない。

「どちらでしょう?」

と問い詰めてくるw
砂利に起伏があり云々と説明し、

「そんなこと素人にはどっちだかわかりません」

と返答。

「では、ロードサービスの方が到着したらもう一度お電話ください」

というので電話を切った。
ロードサービスは予定の時間より若干早く到着。
保険が下りる下りないを言う前に「これは脱輪です」とロードサービス。
分かってるやんw

電話しなきゃと保険会社にリダイヤル。
なになにの方は「1」を、これこれの方は「2」をがまた始まった。
この非常時に、頭にくる。
しかも、さっきはすぐ出たのに今度は「大変混み合ってます・・・」だ。
くそ暑いし、うまく脱出できるか心配だわでイライラ度マシマシ。
作業は始まった。

電話がやっと繋がった。

「脱輪って言ってます」と私。

「ロードサービスの方に代わっていただけますか?」と保険会社。

「もう作業始まってますが」

「代われませんか?」

「あのね、もう作業してるの。
おまんとこが何番かん番言わずに電話にすぐ出りゃ
来てすぐやき代われたものを、ふざけな!」

怒りは頂点にw

「あ、石石石」

フロントスカート下部に石があり、
後ろ向きに引っ張ってもそれがスカートに当たり動きそうにない。

「石がどうかしましたか?」

間抜けな声で保険会社。

「おまんに言いやぁせんわや。
こっちは作業が始まっちゅうがやき。
あんたに取り合うような時間はないき、もう切るぞ!」

と切りました。
僕だってフロントスカートに当たりそうな石を、
車が動き出す前に取り除いたりせなならんのです。
・・・そんなこんなで、なかなか大変やったです。

今日、保険屋の営業が言うには

「今までは音声ガイダンスやなかったのに、変わったがやね」

とのことだけど、緊急時に音声ガイダンスはいかんよね。
特に年寄りにはw


消防署に電話し

「救急車が必要な方は1番を、消防車が必要な方は2番を・・・」

なんて、言われてみ?腹たつよw










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走行中、脇見運転事故の元
今日は家を出てすぐ「エンジン系統に・・・」という警告が出、
ディーラーに行ってました。この警告すぐに消えるんです。
なので「・・・」のとこはなんて出てたのか読み取れていない。
車を運転中、警告が出てもすぐ読めるとは限らないのに、
スバルは何を考えているんだか。
せめて1分は点灯していて欲しいよね。

何年か前、四万十川沿いを走行中、ピッと警告音が出たので
なんだなんだと思ったけど、四万十川ってけっこうクネクネ道だから
運転しながらだと確認できないんですよ。
車を止めようと、安全な場所を捜す間もなく消えたw
それで不安ながらも運転してたら2度めがピッ。
2度めも同じ。3度めの正直で車を止め確認できたけど

「運転時間が3時間を超えました・・・」

拍子抜けしましたw
そんなん分かってらぁ。

そんなんを慌てて確認してて事故ったらどうするつもりぞ。
せめて1分は継続して点灯してくれないと確認はムリ。

とディーラーの営業に言ってあったけど、現行車はどうなんだろ?


で、まぁ、話を元に戻し、エンジンの排気がどうのとかいろいろあるらしく、
それに、10万キロオーバーなのでタイミングベルト交換を・・・
なんて言われ、諸々、20万くらいの出費になりそうです。
で、フォレスターにしようかな?と試乗してきました。

いいんじゃないでしょうか。
でも、知り合いの営業が定年退職してるので下取りとか値引きがシブチン。
スバルでは4台の新車を買ったけどすべてその知人の営業T近さんから。
値段はT近さんの見積もりどおり値切ったことはないけど、
T近さん、けっこう頑張ってくれてたんや・・・と今になって分りますw

今のレガシィ乗ってても、いずれは代えないといけないし、
これ以上年とっちゃうとローン払うのもしんどくなるし、
それ以前に、ローンの審査に通らなくなるかもw
今だとまだ大丈夫みたいやしw
もっとバーンとしてくれたら即決やったのに、只今思案中。


孫たちは今朝方土佐清水の方に行きました。
水族館好きなのでそれを見に。
桂浜のには初めて来た、2015年に行ってます。

20180729a.jpg
<初めて来た時は保育園の年長さん>

この時はまだ「孫」ではありません。
いつ孫になったのか忘れましたが次の年、
2016年に来たときには「孫」でしたw
初めて来た年はよさこいが終わったあとに来たから僕も暇で
毎日いろんなとこに同行でき、写真集を作りました。

20180729c.jpg
<紙を漉いて、ハガキを作ってるところです>

20180729b.jpg
<温泉作ったと、今だに覚えてます>

2016年からは夏休みが始まってすぐだもんで、例の、海行き3日間が
あるので毎日は同行できず、写真が少なく写真集はつくれなかったけど、
今年は海行き後に来たし、2日間でけっこう撮れたから写真集作れそうです♪





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オート露出の練習中
今日は〇〇○へ。
ここは無料の動物園もあり、結構楽しめます。

20180728a.jpg
<よっ!るっきー!調子はどうだい?/露出補正なし>

20180728c.jpg
<露出補正なし。明るく画像処理>

アスレチックとか水場もありますが、
そこで遊ぶには少々大きくなりすぎましたw
幼稚園児向きですね。

20180728b.jpg
<+0.67補正/来年のカレンダー候補w>

20180728d.jpg
<露出補正なし。少し明るく画像処理>

ちょこっとした遊園地もあり、そこの係員の一人が知人です。
一度辞め、何年か後再雇用されました。
今日は忙しいとか言ってたので、大入り袋出たかな?
再雇用後、その大入り袋の中身が増えてたそうで、

「大入り袋の金額が増えてて、ありがとうございます」

と県外から来てた責任者に言うと

「ん?前と一緒だよ」

とのこと。

えっ!と本人思ったけどすぐ悟り、
その場をなんとかごまかしたそうですが、
以前も同じ1000円ならば、その時の上司が
大入り袋から1000円札をこっそり抜き、
500円玉に変えてたとの推測が成り立ちますw
それも人数分だし結構大変だけど、
遊園地スタッフが10人いれば5000円にはなります。
あくまで推測ですw
やりかねないヤツだから推察もされますw
それにしてもセコイ。
というか、同じ働く仲間のわずかな楽しみの上前ハネルなんて、
性根が腐ってますよね。高校の同級生ですけどw

と、まぁ、今は辞めてるし、すでに時効だから書きました。




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慢心は禁物
次男家族が帰ってきました。
深夜愛知県を出、今朝方早くに着きました。
8時間弱かかるそうです。

早速川遊びに。
明日の予定でしたが天気がさらに悪くなるだろうからということで今日に。
寒いのは覚悟の上ですw
しかし、次男家族が帰ってくるときはいつもこんな感じ。
天気が悪いです。
ま、学校が休みになる20日過ぎの気象は不安定だからねえ。
いつもは休みになってすぐ、つまりは21とか22日に帰ってくるのですが、
今年だとそれはベストな選択だったけれど、
毎年それで痛い目を見てるので少しずらすとコレw
よりによって台風まで引き連れています。

それでも子どもは元気。
仁淀川の寒い水もヘイッチャラ。

20180727a.jpg

川に慣れてなく、流されてはいけないので「ひも付」w
でも、ヒモがついてるからといって安心してはいけません。
いつほどけるかもしれないし、
速い流れの場所に行ってしまってパニックになっても危ないし。
油断は禁物です。

で、楽しく遊んでの帰り、慢心してたのはワタシでした。

20180727b.jpg

ドミンゴ→カッパ号→デリカ→グランドワゴン(*1)→フォレスター→レガシィ

で、子どもが小さい頃から通った(*2)仁淀の河原。
スタックなんてしたことない。
切り返しするのはメンドイのでバックで出てやろう。
来た轍通りに帰ればモウマンタイ(無問題)と、
チョチョイノチョイとバックしてると
あれれ轍がいくつもあるぞ
オレが来たのはどれだろうと思ってたら

ガリガガガガガ・・・・

と心臓に悪い音が。
そのままうんともすんとも動かずで、
ロードサービスにご厄介になりましたw

以前アシスタントで来てくれてた子が母親の紹介で行ってたとこで、
なんかの時にはと電話番号を登録してたのが役立ちました。
その子はもういません。
社長のセクハラに耐えられず辞めました。
でも、簡単に辞めれたわけではありません。
就職時に免許が必要だったので、社長に借りて取得したのですが、
それを毎月の給料から少しづつ返していたんだけど何せ薄給w
半分はおろか殆ど返せてなく、辞めたいけど辞めれない。
そう言われたら仕方ないでしょw

で辞めた後、ブラック企業から解放され恋愛もし子どももでき
働けんなったとのことであのカネ、まだ返してもらってませんw
ま、僕も、精神的におかしくなりそうだと感じたので

「そんなブラックすぐ辞め。カネはいつでもえいき」

と言ったしねw



(*1)今でいうスバル・アウトバック

(*2)フォレスターの時には子どもも大きくなってたから行ってない。





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熱中症一歩手前
3日間暑かったです。
特に初日。
もぅ、今年で引退かな?というほどバテましたw
でも2日目3日目と持ち直したので来年もいけるかな?

主任の先生には「あと3年は頑張ってください」と言われましたw
時間が空いたときなどに雑談するんですよね。
先生の子どもさんが通ってる小学校の写真屋が下手なので
来てくれません?と言われ、「行くいく」とでも応えたらこの先生のこと、
積極的に学校側にアプローチするだろうと思い

「引退考えゆうに無理無理」

と軽く流したときに言われたんですが、
web展示でなく、わざわざ見に行ったのに3枚しかなかったそうで、
しかも全部豆粒みたいな我が子しか写ってなく、
リレーの選手であったにも関わらずリレー時の写真はなかったとか。
まぁ、小学校の運動場は広く、生徒数も多いので幼稚園と
同じように考えることはできませんが
リレーの写真がないってことが引っかかりますよね。
親にとっては「晴れ姿」で、一番撮ってほしいシーンだろうに。
昔ながらの「写真館」さんなのかもしれません。
つまり「一人は撮るな」。
僕も2ヶ所ほどで修行しましたが双方で言われました。

「一人を撮って、売れなきゃ赤字になる。
4人くらいで撮れ。一人は買ってくれるやろ」

それがイヤでイヤでたまらず独立したわけではありますがw
目の前で素敵なシーンが繰り広げられてるのに撮らずにおれます?
撮らずに、ニコニコ笑っていられるならカメラを置いたほうがマシです。
本当に写真が好きなのか?カネが好きなだけだろ?

20180726.jpg
<買ってもらえなくても今やweb展示。

20180726b.jpg
赤字にはなりませんw>

そういえば昔、もう40年くらい前にはなりましょうか・・・
銀座で写真展をし、それを持ち帰って高知でお披露目を
してた方の写真展を見に行きました。
会場で建依別のメンバー数人に会い、
一緒に写真展の作者と雑談をしてた時
作者であるT橋氏が

「どんな写真撮ってるの?」

と聞きますので僕が

「スナップですね。モノクロでのスナップ」

と応えると

「ダメだよ。ポジ(*)で撮らなきゃ、モノクロはカネにならない」

と言われた時は唖然としました。
ゆくゆくはこの方みたいに・・・
憧れてただけに、その失望は大きかったですw



(*)カラーポジ。主に印刷用フィルム。







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アウシュビッツ -3-
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53万坪という広さが想像できるだろうか。
写真中 A が午前中に行ったアウシュビッツ収容所。
B がこれから入らんとするビルケナウ収容所だ。
広大なその土地はなんと53万坪。
そこにナチスは10万人の囚人達を閉じ込めていた。
行く行くは20万人を収容する予定でいたという。

20170821b.jpg

入ってすぐの管理棟から右を見ると男性収容棟が見える。
まん中に鉄道引き込み線が通っていて、
それを境に男女が分けられていた。
男性収容棟はごらんのような木造だ。

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左を見ればレンガ造りの女性収容棟が。
手前の方には建物の跡しか残っていない。

20170821d.jpg

鉄道引き込み線と管理棟。

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見張り台も朽ち果てていた。
半世紀以上の時の流れを感じる。

20170821f.jpg

私達は女性収容棟の方へと入った。

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入ると同時に風が吹いてきた。
5月の風の爽やかさを私は感じた。
が、彼等にそれを感じるゆとりがあったのだろうか・・・

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このように、ほぼ完全な形で残っている建物は少ない。

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ナチスは退出時、証拠隠滅のため
あらゆる物を破壊して出て行った。
煙突だけが残った建物跡があちこちに見える。

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ここには300棟以上のバラックが建てられたが、
殆ど完全な形で残っているのは45棟のレンガ造りと
22棟の木造造り囚人棟だけだ。
前にも述べたように殆どをナチが破壊して退出した。

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女性収容棟内部。
うす暗い、家畜小屋のようだ。

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「3段ベット」と呼ばれていた寝床。
1段に8人が、腐ったわらの上に寝かされていた。
3段というからには一番下の段にも寝ていたのだろう。
下も悲惨だが雨ともなると上段も悲惨だ。雨が漏るから。

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天井部分。
瓦がむき出しになっている。当然雨は漏る。

20170821n.jpg

馬か牛の餌場かと思ったら人間の洗面所だった。
邪口の数を数えると32個あった。
これを4000人が使用した。
ひとり20秒ときめられていたので、
全員が洗い終わるのには
単純に計算しただけでも42分もかかってしまう。
なお、身体は洗えなかった。

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ここはトイレです。これも4000人が使用した。

20170821p.jpg

説明を受ける一行。
まん中あたりにいる男性がガイドのピンドールさん。
左端の女性が添乗員。
学生のころからリュックを担いで
世界を回っていたという行動派の女性。
素敵な女性だった。

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国旗を持った、修学旅行生らしきイスラエルの若者達が
破壊されたガス室の回りにいた。
民族主義的で、ちょっとイヤな気持ちになった。
ピンドールさんも顔をしかめていた。

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破壊された、ガス室の内部。

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同じく、破壊されたガス室。

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男性収容棟。
もともとは52頭分の馬小屋。
今回は時間がなくて見学はできなかった。



ポーランドでは14歳になるまではアウシュビッツを見学させない。
認識が不十分な段階では誤った見方をする恐れもあり、
逆効果を考えてのことだという。
そのかわり、それまでに学校できちんと教え、
授業の一環として見に行くそうだ。
もちろん、親の責任において連れて行くのはいくつでもかまわない。

日本の場合はどうだろうか?
広島や長崎の原爆資料館に、修学旅行で行くのは確かだ。
だが、私は写真屋として付き添った数少ない経験でしか言えないが、
余りにも時間が少なすぎはしないか。
ガイドも付いていない。
各自がバラバラに見て、果たして理解が深まるだろうか?

「ここへは学習した後で、何をするべきかを教えてくれる教師と来るべきです。
そして、彼等の過去の歴史に涙するのではなく、独自の考えを持って欲しい」

博物館教育部長の言葉は、僕の胸奥にしみこんだ。

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アウシュビッツ・・・終り





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アウシュビッツ -2-
20170820a.jpg

同行の一人が質問した

「『アンネの日記』のアンネの痕跡はありますか?」

ガイドのピンドールさんは

「アンネ・フランクという人はいました。
でも、その人があの日記のアンネかどうかを
確かめることは不可能です」

とそっけなく答えた。

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私は考え込んだ。
ここはユダヤ人だけでなく、ポーランドや他の人達も含む
150万余が犠牲者になっているんだ。
アウシュビッツといえばユダヤ人(だけ)という見方は必ずしも正しくない。
ナチズムの犯罪による犠牲について、
ことさらユダヤ人だけをクローズアップすることはなく、
日記のアンネにしてもここでは夥しい犠牲者のひとりにすぎないんだ。
クローズアップするならば犠牲者ひとりひとりがそうされなければならない。
ピンドールさんのそっけない態度はそう言っているように思えた。

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収容所内でもレジスタンス運動は密かにすすめられていた。
だが、見つかった者は、見せしめのために
仲間の眼前で射殺された。(花束のあるところ)

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金網の向こうに、絞首刑台が見える。

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3段ベット。一段にふたりが寝る。
ここはポーランド軍の旧兵舎を利用しているので住環境はいい方だろう。
だが、午後から行ったアウシュビッツ2と呼ばれる、ビルケナウは悲惨だった。

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親衛隊の部屋だろうか?
壁にヒトラーの写真が架けられている。
この辺になると、写真を撮りながら進む僕は皆から遠く取り残されていた。

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鉄条網には逃げ出せないように高圧の電流が流されていた。

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大量虐殺がおこなわれたガス室に入る。

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ここからチクロンBは投入された。(ストロボ使用)

20170820l.jpg

ガス殺された犠牲者達はこのように折り重なって死んでいた。
信じられないくらいの人数だ。
出口に殺到したためにこのようになっているのだろうか?

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死体を焼いた焼却炉。
あまりにも数が多い時には外に積み重ねられていたようだ。
ストロボを使用しているので明るいが、実際は薄暗い。

20170820n.jpg

前館長(2000年当時)のスモーレンさんと交流した。
彼は収容所内のレジスタンス運動の中心的役割を担った人だ。
生き残れたのは身体が特別頑丈だったわけではく、
過酷な労働現場から事務職に配置転換されたからだと言う。

20170820o.jpg

「生きてここから出られるという希望や展望はありましたか?」

という質問に対し

「生きて出られるとかよりも、ここアウシュビッツでいったい何がおこったのか、
後世の人々に伝えなければならないと思った。
私達の希望は未来に生きる子供達の上にあった」

と答えてくれた。

写真は外部の活動家達との連絡に使われた
タバコの巻き紙。びっしりと暗号文字が書かれていた。

20170820p.jpg

アウシュビッツ2と呼ばれるビルケナウ収容所行きのバス停。
学生風の若者が数多く訪れていた。


つづきます





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アウシュビッツ -1-
20170819a.jpg

20世紀最後の夏、アウシュビッツへ行ってきました。
終戦記念日前後、テレビなどでは突然戦争特集になります。
まるで夏の風物詩って感じです。
でも、それらの多くは戦争の悲惨さを伝えるだけです。
それでいいのだろうか?
と、夏が来る度に僕は思います。

なぜ戦争を止めることができなかったのか?
戦争に反対した日本人はいなかったのか?
日本でレジスタンス運動はおこらなかったのか?

反対した日本人はいたしレジスタンス運動もおこった。
なぜそれを教えないのか伝えないのか。
外国のレジスタンス運動は英雄的に取り上げるのに、
本当に疑問です。

「団体旅行」で許される範囲内での行動です。
本などで見る写真とは比べ物になりませんし
僕はアウシュビッツについての研究者でもなんでもありません。
ここに記していく事柄は現地のガイドさんに聞いた事が主です。
なお、2000年当時の貧弱なPC環境での作業ゆえ、
写真のサイズも小さく、見づらいですがご勘弁を・・・


20170819b.jpg

「働けば自由になれる」と書かれた皮肉なプレートをくぐり抜け、
収容所内へと入って行った。

20170819c.jpg

女性がひとり放心状態で座っていた。
あまりの悲惨さにやりきれなくなったのだろうか?

どんな場所に行ったとしても、素敵な女性がいれば
レンズを向けてしまう私です・・・^^;

20170819d.jpg

ナチは、強制労働につかす囚人達を鼓舞するべく、
捕虜の中から音楽経験者を選びだして楽団を結成し、
朝夕演奏させたそうだ。

20170819e.jpg

「この捕虜収容所にはヨーロッパのいたる所から囚人が送り込まれた」
という事を表した図。中央の丸印がアウシュビッツ。
アウシュビッツという名は占領したナチがつけたもので、
元の地名はオシフィエンチム市という。今はもちろん後者だ。
解説を聞き、日本も同時代に朝鮮に対して同じ事をしたのを思い出した。
侵略者というのはする事が一緒だ。

20170819f.jpg

ナチがこの地を強制収容所に選んだ理由として

・ポーランド軍の基地があったためその兵舎を利用することができた
・ふたつの川に挟まれていたため隔離するのに都合がよかった
・線路が通っていたため、大量に送り込むのに便利だった

などがあげられる。
写真で見るとおり、思ったよりきれいな事に驚かされた。
が、その思いは、午後にはくつがえされた。

20170819g.jpg

当初ナチは、このように写真を撮って囚人達を管理した。
しかし、大量に送り込まれるようになると時間と経費の
節約のために、腕への入れ墨に切り替えた。
幼い子供の写真もあった。

20170819h.jpg

死体を焼いている写真。
こういった写真が残っていること事体が珍しいそうだ。
というのも、ナチは退却の時、証拠隠滅のためにあらゆる
資料を焼却して出て行った。
そんな中の、かろうじて焼け残った写真の一枚だ。

20170819i.jpg

こういった、オブジェ的展示品は少ない。

20170819j.jpg

大量虐殺に使用されたチクロンB。

20170819k.jpg

クツの山。
いったい何万足のくつがあるのだろうか。
犠牲となった人々一人ひとりが残したモノは、
圧倒的迫力で見る者を襲う。

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義足類。
身障者も容赦なく連行された。
いや、戦争になると社会的弱者こそがまず抹殺される。
日本でもそうだったではないか。

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可愛かったであろう子供の、
小さな洋服やおしゃぶりが見る者の涙を誘う。
いったい彼等に、虐殺されるべき何の罪があったというのか。

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食器類。
ナチは、連行するにあたり持ち込む荷物の重量を制限した。
収容者はとうぜん軽くて高価な貴金属類を持ち込む。
彼等はそれらをかたっぱしから掠奪した。

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かごやボストンバック類。
ここは悲惨さを売り物にしたりはしていない。
ただ事実だけが展示されている。
だが、その事実を直視する事により、
侵略者への強い怒りが湧いてくる。

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メガネの山。

20170819q.jpg

司祭の服で作った布。

   *********

ガイドのピンドールさんの話によるとナチスは当初、
アウシュビッツをユダヤ人虐殺のために作ったわけではなく、
ポーランド人の政治犯を収容するために作ったそうだ。
そして、アウシュビッツがポーランドにあるために、
大量虐殺を行ったのはポーランド人だという
誤った認識を持つ若者が増えているらしい。

なお、ピンドールさんは日本留学の経験もあり、日本語はペラペラでしたw


つづきます



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海行き3日間
明日から夏恒例の海行き。3日間。
そのあと息子家族が帰ってくるので忙しいです。
海行きは幼稚園の「デイキャンプ」。以前は幼稚園保有の
「海の家」で一泊する「お泊り保育」だったのですが、
3.11以降、大事をとって「日帰り」となりました。
海行き3日間は予約投稿します。
既出なので1年以上前からお越しの方には「またかよ」ですが、
夏になったら「火垂るの墓」的な感じで、ま、いいかな、とw

なので今日は明日からの準備。
3日間は晩飯が出るので冷蔵庫の片付けもしとかななりません。
3日間カレー(笑)
そして昼飯はコンビニのおにぎりをこちらも3日間。
コンビニって、月イチの振込のときか、この時期しか行きません。
おにぎりでなく、普通の弁当でもいいんですが味が濃厚なので
海水浴の写真を撮ったあとでは受けつけず、結果、3日間おにぎりです。

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「よく買ってくれる子リスト」ですw
別にこの子ばかり撮るってわけではなく、
まんべんなく撮りますが撮り抜かりなきよう、念の為ですw
よく、「目立たん子は少ないろ?」とか言われますが
僕の場合はそうでもないですね。
目立つ子はやっぱり多いですけど目立ない子っていうのは

あ、この子目立たんき撮りぬかったらいかんな・・・

とか思い、気にかけるのでけっこう多いです。
なので「普通」の子が少ないですw
少ないってのは相対的に、です。
他の写真屋さんに比べ、僕のショット数は多いと思います。
同じグループ園の、ひとつの園を撮ってる写真屋さんと
よさこいなんかで一緒になった時「何枚撮った?」とか話すんですが、
いつも僕は倍くらいは撮ってます。
何が大変かというと、デジタルになって写真を選ぶのが大変ですw
撮りすぎw

リストの上にあるスピードライトはニコンのSB5000。
D500と同時に買いました。
それまではスナップ用はSB800を使ってました。
集合にはSB80DXを3連。

でも、このSB800と当時使ってたD200との相性が悪く
不規則発光する。
シャッター押そうとするとピカピカと連続発光したりもします。
そんなもんだから、シャッター押した瞬間はどうだったのか確認せなならんw
D7100とはどうだったか忘れましたがSB9000が出たので買いました。
息子にあげたらD7200には問題なく使えてるようだから、
多分D200のアクセサリーシューの問題だったのでしょう。

ここで、SB5000の前に900系があったんじゃないかえ?
って疑問が生じると思いますが、900系、使いものにならないんです。
800系のあとに出たスピードライトは電気に関する法律が変わり、
あまりに激しく使用すると保護機能が働き光らなくなるんです。
「あまりに激しく」ってどのくらい?ってことになりますが、
SB800で「普通」に使ってた状態で使うともうダメですよぉ・・・という具合。
使い物になりませんw

SB5000はそのへんが改良され、
なおかつ背面の液晶に「温度計」みたいなのがつき
注意を喚起するようになってるんですが、
その温度計が上昇すると不安ですねえ。
なにせ一度ストップしちゃうと熱が冷めるまで光らない。
その間数十分使えない(笑)。
ま、使えなくなったことはまだありませんが。

ということで、明日から海行き。
3日間、日焼けしてきますw







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