撮った本人が気づかないほど加工されてたことを書きましたが
あんた、そんなことされて腹立たんのか?
とお思いでしょうけど、僕はいっさいそういうことはありません。
どんなに加工されてもけっこうです。
商業写真を「自己表現」だなんて言うつもりはありませんが、
そう仮定するとデザインだって自己表現になるわけで、
僕はその「素材」を提供したに過ぎません。
自分の手元を離れた写真がどうなろうと僕は感知しません。
もしそれがいやなほどの「名作」ならば、他人に譲渡なんてしませんから。
ま、使い方ヘタだな・・・くらいは思いますw
そのセントラルグループの写真はある代理店を介して撮影するようになりました。
代理店も、間に立つのは面倒だから、勝手に仕事してってことで
ギャラから何までコチラ任せ。やりやすかったです。
参加の踊り子全員を撮るのではなく、
広告に使う宣伝材料として撮影して欲しいとのことだったので受けましたが、
数年経って「全員も撮れないか?」と打診があったけど「無理」と
断ったらビデオ屋が撮ってて
「TAMARAさんが撮らんき撮らないかんなった」
とボヤいてました。
撮る「視点」が違いますからね。
同時に両方撮るなんて、そんな器用なこと僕にはできません。
それに宣材用の方が楽なんですよ。
踊りの上手い子ばかり撮ってたらいいわけだから(笑)
全員を抜かりなく撮るっていうのはけっこう大変ですし気を使います。
宣材用といっても、俗にいう「決定的瞬間」みたいなのには
興味が無いので、流れの中の一瞬みたいなのを撮ってました。
気に入られなきゃ次回はないだろうけど、
セントラルが一旦よさこいから離れるまで依頼があったので、
ま、気に入られてないってことはなかったんだと思います。




添付画像は2003年のです。
この年からデジタルで撮るようになりました。それまではカラーポジ。
フィルムからデジタルに切り替わったきっかけはセントラルなんです。
「デジタルで撮ってくれないか」と言われたのが2001年のよさこい終了後。
翌2002年にはD100を買い張り切ってたのですが、同年8月10日・・・
10日はいつも幼稚園の撮影後セントラルに合流してたんですが、
その幼稚園の踊り子隊が追手筋本部競演場に整列し、
今まさに踊らんとする直前、スコールのような豪雨襲来。
逃げ場もなくカメラずぶ濡れ、園児もご覧の通り。

本部競演場を踊り終えたあと雨はあがったけど
この年はこれにて園児たちは踊り終了。D100も終了。
デジタルカメラは「電気製品」というのを実感しました。
D100壊れちゃったので肝心のセントラルはこの年もポジ撮り。
セントラルの踊りはツェッペリンのイメージなんですよね、僕には。
その年の踊りの曲がどんなのであろうと「胸一杯の愛を」から始まります。
そして最後は決まって菜園場競演場で踊りをしめるんですが、
踊り終えた大人の踊り子達が
最後に踊る子供達の回りをとり囲んで盛り上げるんです。
あれはねえ、感動ものですね。そのシーンを撮ってる途中から
僕の心の中には「天国への階段」のメロディが流れてきます。
なぜツェッペリンなのか良く分かりませんが、
多分「狂熱のライヴ」の映像が影響してるのだと思います。
音楽が聞こえて来たチームは他にはありません。
踊ってる姿を見て感動したのもセントラルだけです。
そのセントラルがよさこいに復活してますがもう撮ってません。
今また依頼されても撮れないでしょうね。
あの激しい踊りにロートルはついていけません。
昔撮ってた時、ある県外チームの踊り子が言いました。
セントラルかっこイイ!最高!でも、踊りたくな~い。激しすぎて死んじゃう・・・
上記とは別のビデオ屋がある日、
◯◯写真館が、婚礼のスナップ撮るバイトを探しゆうけど誰かおらん?
と聞きますので「オレは?」と自薦
「TAMARAさん、言われた通り撮らんろ?」
と言われ却下。
なかなか人を見る目があるビデオ屋さんでした。
下請けになるからね。その写真館のスタイルで撮らないかんのよね。
「無理」w

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だったんですがお開きは22時w
遠方の友はどうすんだよ状態の懇親会でしたが、
久しぶりに写真の話で盛り上がりました。
週末のかき入れ時、総勢9人に
6時間も居座られたお店は大迷惑だったことでしょうけど
T吉(弟)さんの親族らしく、居座ることを見越して
街から離れてるけどココにしたそう。
料理も美味しく大正解でしたね。
言い出しっぺのT吉(弟)さんは僕の居所をつかめていず、
仲間のSさんから電話があり参加できたのですが、
Sさんも知らなきゃ誰かに見つけてもらえるのを
待つばかりだったんだなぁ・・・と、Sさんに感謝。
参加は旧建依別写壇からは7人、ゲストが2人。
ゲストの一人は歴史民俗資料館の学芸員の女性で、
故・田辺寿男さんを通じてT吉(弟)さん他の方たちと交流があり、
田辺さんの本を出すにあたって尽力された方とのこと。
その辺の所、会や仲間たちから遠ざかってたので詳しく知らないんですよね。
もうひと方は地元の新聞社の方で、
今は退職されていて専門委員として写真部勤務。
T吉(弟)さんや、現在同新聞で連載されてるK林さんと交流があるみたいで、
高校生の頃建依別のクラブ展を見たと語ってたから僕より5つくらい下かな?
「建依別写壇」と言ってもこのブログに訪れてる方は多分知らないだろうけど、
アサカメの全国写真クラブ紹介で取り上げられたこともあり、
それなりに「知る人ぞ知る」クラブでした。ま、
知る人ぞ知る=知らない人はシラナイ
だから当たり前の話なんだけど(笑)。
でも、学芸員の方には
「建依は、私の中ではレジェンド」
らしく、
なかなか上手く表現するもんだと、一人感心してましたw
ん?弟といちいち注釈つけてるんだったら「兄」はいないのか?
という話になってきますけど来てましたよ♪

この絵を描いてくれました。
道具をいつも持ち歩いているようで、カメラはちっちゃなコンパクトカメラ。
絵の道具のほうが荷物になりそうですw
絵の下にある本は何年か前、
高知で最高の文芸賞である「椋庵文学賞」を受賞したSさんの小説。
僕は以前、「高知の文学」かなにかに掲載された時読みました。
写真でも何冊か写真集出してるし、絵を描いてくれた爺さんともども85才。
まだまだ若いものには負けてはいないお二人です(酒量もw)。
今日、ランキングが「写真」372位、「その他」131位に跳ね上がってました。
17日に同744位、264位まで上がってたんですが一旦下がり急上昇。
「FC2ブログランキング」というバナーをクリックしてもらうと現れる順位とは
また違うランキングみたいで、ホント、よく分かりません。

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という話なんだけど、
きっかけは日本橋三越本店で開かれた 自身の個展をイラストを添えて振り返ったこと。個展の会期中、「作品を横から見ている方がとても多くて。なぜ皆さまそんなに額を見ているのだろうと不思議に思っていた」という今津さん。「確かに注文品だけど、めずらしい額でないような……」といぶかしんでいたところ、お客さんから「えっ(この作品は)油絵!? 立体じゃないの!?」という思わぬ反応が寄せられたのだそうです。
凄いですね。
でも、凄いで終わらないところが私のイマジネーション豊富なところw
若い頃、見えそで見えない超ミニを履いた女性のグラビア写真。
おもわず本を目の高さで水平にし、覗き込んだ経験ありませんか?
その経験があるかたはこの「苔の油絵」のお話しも納得ですねw
なのでワタシも納得ですw
こんなこと書くから女性の訪問客が来なくなるんだろうか?
でも、それがTAMARAだし、仕方ないねw
というわけで、今日は少し手抜きですがこれから昔在籍してた
「建依別写壇」の、最初で最後の「懇親会」。
遠方から来る方もおられるので16時開始だって。
早ぇよ(笑)
そういえば
「会合のためとはいっても、昼間から酒を飲むのはいかがなものか」
と、前橋本知事が呆れてましたなぁ・・・
この知事さん、官官接待廃止など、僕から見ればイイことなのに
かなり批判された政策もとりました。
前任者(*)が官僚出身で気配りな方だったけど、
橋本さんは言いたいことはズバズバと言い、
うつむき加減で話をされるので写真は撮りづらかったけど
僕は好きな方でしたね。
初めて知ったけどこんなこともあったようです。
平成11年のことですから、もう9年ほど前 (TAMARA注*この記事が書かれたのは2007年です)のことです。当時、肢体不自由児が通う若草養護学校には看護職員がいませんでした。生徒達の障害は年々重度化していて、タンが詰まった時など一刻も早く吸引するなどの対処が必要でしたが、家では親たちがやっているそういう行為を、学校では先生が行えなかったのです。なぜなら、「医療行為に当たるから」ということでした。そのため、発作を起こすと一刻を争う時に、時間をかけて病院まで運んでいたのです。
この事態をなんとか打破したいと、当時PTA会長をしていた夫は副会長だった県庁職員のお父さん達と活動をしていました。お母さん方のグループも動いていましたが、3年間ほど活動しても、当時の教育委員会は「医療行為は学校では行えない」と、断固として認めてくれませんでした。
「何かあったら、子供達が大変なのに」「安心して、子供達を学校へ送り出したい」ということは、当時の保護者たちの切なる願いでもありました。そしてとうとう、「知事に直訴をしよう」ということになったのです。教育委員会を無視した頭越しの行為ですから、本当はかなりまずいことだったのでしょうが…。
橋本知事は熱心に話を聞いてくださり、「何が問題でこれができないのか」と職員に尋ねた上で、「それ(看護職員の配置)はいいことだから、ぜひそうしましょう」と約束してくださったそうです。まさに、鶴の一声でした。こうして、子供達は不慮の発作の不安から逃れることができたのです。
ほんじゃ行ってきま〜す。
てか、なんとなく長文になってるわ。
ま、引用ばかりだけどw
(*)
N知事が退職間際、県外客を招いての会合後の、懇親会でのお話し。
Sダンススクールの踊り子隊が例によってよさこい披露。
このグループはジャズダンス教室が母体となったるため踊り子も
若い女性が多く、踊りも派手。その綺麗な御御足を頭上高く
「ハイハイ」と上げたりしながら客席の間を縫うように進みます。
乾杯直後でまだ壇上にいた知事を見ますに、
グラス片手に口をポカーンと開け顔はニンマリ。
知事も男やのぉと、カメラを構えファインダーを覗く。
と、知事の手にあるビールグラスが徐々に前に傾いていく。
驚きの余り手の力が抜けているんでしょう。
「知事さん、グラスグラス」
グラスに注意喚起するよう呼びかけると、
ハッと我に返った知事さんがこちらを見、照れ笑い
今だ!シャッターチャーーーーンスw

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午前中1回、昼のうちに2回、夜2回という感じです。
こういったライヴ映像見るたびに思うんですが、
映像と音、合ってるんでしょうか?
時系列、正しいんでしょうか?
ボーカルは大概合ってるように見えますが
ギターなんかはどうなんでしょ?多少ずれてるかもね。
映像の切り替わりが目まぐるしく早い時なんか、
この音、そのコードじゃないでしょ?と、
そんな場合もあるかもしれませんが
僕にはわかりません。
でも、絶対にここは合ってないな、と思うシーンはあります。
映像がスローモーションになってるところです。
そんな時でも歌は間延びしてないですもんw
1970年代、高知にはトラベリンバンド(*1)というバンドがあり、
一番人気やったです。後年アプサラスと名前を変え、
上田正樹さんと一緒にやったりしてましたね。
東京にも進出した時期もあったのですがすぐリターン。
水が合わなかったようです。メンバーの一人が
「ラーメン食えれんきもんてきた(*2)。夜中、ラーメン食べるにも苦労する。」
言うてましたw
トラベリン東京断念の真相ですw
K測量でのバイトを辞め、S写真室での修行中に
「トラベリンのポスター作るき写真撮ってや」と、
知り合いのデザイナーに頼まれまして、しかもモノクロ。
こりゃ張り切らぬわけにはいきません。
しかしまだまだ貧弱な高知の舞台ライティング。
スポットライトメインのステージ。
しかも1600増感ときてる。
普通に焼いたらコントラストが強すぎ中間トーンは出ない。
神の手のごとく動く森山大道の指先をイメージしながら
その時持っていたあらゆるテクニックを駆使。
満足できるプリントを手渡しました。
オレの写真が印刷されるぅぅぅ、、、、
印刷されて当たり前と、今では何の感慨もありませんが
その頃は純粋でした。なにせ「初印刷」でしたから。
「できたよー」
連絡があり、ポスターを貰いに行きました。
「え?」
中間トーンなし。
見事に白と黒だけ。
フォトショップでいえば「2階調化」されてましたw
(こんなポスターいらないw)
今のよさこいの、地方車にバンドが乗り込み、
生演奏で音を流すスタイルを作ったのは
トラベリンバンドと堀田グループ(参加チーム)です。
あれがなければよさこいも「路上ディスコ」化してなく、
全国的に盛り上ることもなかったでしょう。
夏になると高知はよさこい一色になり新聞紙上でも特集が組まれます。
何年か前の特集の一企画で「よさこいのターニングポイント」というのが
あったけどトラベリンの「ト」の字もなく、新聞社は何考えちゅうがぞと
そのセンスの無さに呆れました。
それ以前のよさこいなんて、踊り子集めるのに四苦八苦。
「日当」まで出すチームもあったくらいだけど
堀田グループ参加後は若者にも人気が出、
今や「参加費」徴収が当たり前の時代。
よさこい盛況はトラベリン+堀田グループなしでは考えられないと、
あくまで「個人的感想」ですがそう思います。
そういや「よさこいソーラン」のポスターになった時も変な加工(*)されてたなぁ。
(オレの写真はそのままじゃ使えん言うがかヽ(`Д´)ノプンプン)
てか、よさこいソーランに使われた写真、友達が新聞を指し
「これ、セントラルで撮ったお前の写真やないかえ?見覚えあるぜ」
と聞いてきたけど
「まさか、そんな写真撮らんぜ」
否定したはいいけどよく見たら自分の写真だったw
セントラルの世話役の一人が公募展に出品していたらしい。
(*)フォトショップの「ポスタリゼーション」だったと思う。

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「航空測量」の場合は左翼はあげません。
左窓から身を乗り出して、真下向いて撮るわけですから
反対に機体を左に傾けます。その方が真下を撮りやすい。
撮りやすい代わりに落ちやすいので、しっかり支えななりませんw
「建造物」なんかを撮る時は真俯瞰でなく、
斜めに撮るのでレンズによっちゃあ羽根が画面に入ったりするのです。
なので左翼をふっとあげ、その瞬間カメラを若干下に振り、
構図を決めパシャッと撮るわけですが、そこんとこがカメラマンと
パイロットとの「阿吽の呼吸」だとS古さんは言ってました。
ただし、みんながみんなこんな撮り方をしてたかどうかは知りません。
僕みたく、酔いやすいカメラマンだと一発だと思うでしょうけど、
ファインダー覗いてる間はなんともないのです。
不思議ですよね。
江戸時代、高知には野中兼山 という方がおりまして、
土佐藩各地を測量して歩き、川の堰や港なんかを作った方です。
その兼山が作った山田堰を壊し新しくする際、
堰の石組みを上から順に引き剥がし
その構造を写真で記録するという仕事がありました。
県の発注で受けたのはS古さんのいるK測量。
そこから当時は社員として勤めていた例の写真屋に撮影依頼があったのです。
S古さん自らがカメラマンをしてたのはただ飛行機に乗りたかっただけだし、
ピントも露出も都度合わせなならんので「ワシャやらん」となったのでしょうw
で、S古さんからカメラマンは僕指定。
石組みを上から順に引っぺがすといってもそう簡単なものではありません。
ま、簡単かもしれませんが時間がかかるw
1日1度もシャッターを切らない日もありました。
それは予想されたことでしたけど、資料として残すわけだから
その構造がはっきり分かる位置から撮らにゃなりません。
そのためには「高い」位置からがベターです。
客観視するためには「真俯瞰」がベスト。
なので高所作業車の上から撮ることになりました (-_-;)
ヘルメットを被り、同年代のオペレーターの兄ちゃんとゴンドラに乗り上昇。
遠ざかる憎っくきS古w。高いとこ苦手な僕は柄にもなくちょい緊張。
一番上まで上がるとそこからニュイーンと、
堰の中心近くに来るようにゴンドラを突き出す。
高所作業車といっても街中でよく作業してるようなものではなく、
建設センター一番の、もっともっと高いところまで伸びるやつでして、
大丈夫なんかよ。このままひっくり返ったらおしまいじゃん。
怖ぇーーーーーーーだけど、
不思議とファインダー覗くと恐怖感はなくなるんですよね。
もっと右、前と、兄ちゃんに指示も出してるしw
カメラは水平出しをしてるので、アングルを決めるのに
カメラを振るわけにはいかず(*)、ゴンドラを動かして決めてたのです。
なぜファインダー覗くと恐怖感がなくなるか・・・
オレが仕事に燃えているから、、、だとか
いろいろと考えたんですけどそれは多分「虚像」だからでしょう。
ファインダーの中は「虚像」。「現実」ではないんです。
だから怖くない。
(*)振れば水平が狂う

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半年間だけという約束の期間が過ぎ、次はウチへ来ないかと
誘われたので行きました。直前の写真屋は、そこの前に勤めてた
ミニコミ誌の編集部を辞めた時、行くとこなかったら半年間でいいから
バイトしないか、と誘われて行ってたのです(*2)。
本当はひとつのバイトが終わったらそのお金で日本各地をぶらぶらし、
柳沢信さんみたいな写真を撮って暮らしたかったのですが、
請われるウチが花かな?と思いバイトを続けました。
測量会社で僕を誘ってくれた方はそこのNo.2だったので、
従兄弟が甲子園に行ったときなんかも休ませてくれるなど
ワガママも聞いてくれ、時給も良かったようです。
「ワシラの時給より、TAMARAの時給の方がええんぞ」
と、岡山出身の一人の社員に嫌味を言われましたが、
そんなこと僕の知ったことじゃないし、
第一、時給が良くてもボーナスはないし福利厚生もまったくないやん・・・
と反論しました。ま、その社員はみなに嫌われてましたけどね。
で、僕を誘ってくれたNo.2の方、自衛隊出身で異常に飛行機好き。
その「シュミ」と両立させるためか「航空測量」なんてのをやってまして、
本来の航空測量は飛行機のお腹部分をくり抜き、そこに真下に向け
カメラを埋め込み、高度なんかも同時に写し込める優れものらしいのですが、
彼、S古さんがやってたのはペンタの6×7でセスナの窓から身を乗り出し、
真下向いて写真を撮るという荒っぽい撮り方。
もちろん高度なんかは記録されません。
そんな時は僕にお呼びがかかります。専務命令ですw
「航空測量」用の撮影は例の撮り方だからカメラを水平にするのが
コツくらいなものでピントは無限だし、基本晴れた日にしか飛ばないから
露出も変わらないしで難易度は低く、僕の役目は身を乗り出した時、
風で煽られ飛行機から落下しないようにベルトをしっかり持つこと。
あとフィルム交換。
このフィルム交換が曲者でして、飛行機の突然の揺れにも耐えれるように
レンズを太ももで挟み、下を向いて変えてたら即飛行機酔い。
カメラを目の高さまで上げ、遠方の景色(雲しかないけどw)を
遠目で眺めながらフィルム交換してました。
なので時間がかかる。
まだかよ、オイ。セスナ代高いんだよ。
と文句言われながらw
でも、まだ航空測量の時はいいですよ。それがすみ、
別件で(バイトとも言うw)請け負ってた建築物の撮影の時なんか、
撮影対象の建築物はもう「標的」。
パイロットもS古さんの飛行機好きは知ってるし、
どう飛べば喜んで貰えるかも知っている。
大のお得意さんだから「忖度」しとかにゃw
その「標的」を空母に見立て、ゼロ戦が突入するがごとく突っ込んで行き(*3)、
「ココ」という場所でエンジンの回転数を落とし左翼をふっと上げる。
エンジンは切ってたかもしれませんが「振動」を少なくするためで、
左翼を上げるのは羽根が画面に写らないようにするためです。
体には重力がかかってたのに惰性で飛行機は進み、しかも
羽根を上げた瞬間無重力状態みたいになるんですよ。
それを建築物の周りを舞いながら何回か繰り返す。
S古さんはファインダー覗きながらヒャッホーとか叫んで喜んでる。
「ヨーソロ」なんて、専門用語らしきものまで飛び出しご満喫。
「最高やろTAMARA」
「ん?TAMARA」
「おい!TAMARA!フィルム!」
私はもう、最初の左翼ふっでダウンしとりますw(*4)
(*1)ミニコミ誌も測量会社もその写真屋にDPを出していて、その繋がりです。
(*2)後年、フリーになる直前にまた勤めることになります。
(*3)細かいことを言えば「標的」の右を目指し突っ込んでいきます。
左の窓から撮影してましたから。
(*4)情けないなぁ・・・と言われながらも可愛がってくれました。

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たまに野菜もらいます。
先日はえんどう豆。

もちろん殻付きでもらい剥いたんですが350gありました。
その日に100g使い、残りを50gづつに分け、冷凍してます。
えんどう豆も高いですからねえ。
350gもあればけっこうします。
そして別の子からはトマトを。
さきほどのえんどう豆もそうですが、
別にえんどう豆を市場に卸してるわけではなく、
畑の片隅で作ってるだけです。
そしてこのトマトもハウスの片隅で。
本業はナス農家です。
ナスで有名(全国的かは?)な安芸の農家です。
したがって市場には出荷せず、
木で熟したトマトなのでもう美味しいこと美味しいこと。
スーパーの生産者コーナーといえど
ヘタ部分はまだ緑が残ってますもんね。
また、流行りのフルーツトマトでなく昔ながらのトマト。
フルーツトマト、あまり好きじゃないんですよ。
なんでトマトが甘くなくちゃなんないんだ?と思います。
あれは23才のころ・・・
当時、バイトしてた測量会社での昼休憩時。
夏の暑い盛りでした。
現場はゴルフ場に隣接していて目の前には小さなトマト畑が。
そのトマト畑に完熟の、美味しそうなトマトがぶらくってるんですよ。
早く食べなきゃ落ちちゃうぞ・・・という感じw
3人一組でチームを組んでまして、他の2人は社員。
その社員に
「あれ、美味そうですよね。もいで来ましょうか?」
と誘いをかけるも
「アホウ言うな。勝手に食うたら犯罪ぞ」
とお固い社員。
それでも僕は食べたく、なら断ったらいいんやろ、と思い
畑の向こうにある民家にテクテクと。
幸いにも在宅で、しかも畑の持ち主。
あのトマトを是非食べたい
と申し出ると。
どうぞどうぞ、
爺さんと二人きりなので食べ切れんしなんぼでも食べて下さい。
と快諾。
お代はいらないそうなので、お礼に
いつも持ち歩いてるニコンF2+28mm(*)でパチリ。
後日、6切に焼いて持っていくと、たいそう喜んでくれました。
あのトマトが人生で一番美味しかったトマトです。
ま、暑かったとか、いろんな要因がありますからね。
イメージってもんが強いかも?ですが。
と話は飛びましたがそのアシスタントにもらったトマトで
トマトソースを何回か作り、今日はカレーに挑戦。
シャバシャバのカレーはココ を参考にいつも作ってますが今回も。
とは言うものの、今日は豚ミンチだしトマトは缶詰でなくナマ。
いろいろ違いはあれどカレー粉とかの分量は参考になります。
で、できましたよ。

美味しかったんですが、
オレンジ色のカレーを作りたいんだけどどうすればできるんやろ。
同じ物使っても参考にしてる方のは綺麗なオレンジ色やし。
トマト缶で違いがでるものなのかな?
それともヨーグルトの分量?
ある人が僕に
写真の撮り方やない?光とか。
とアドバイスしてくれたけど、誰に言ってるんや、やし(笑)
カレー粉でなく、スパイスの配分変えて作ってみたけどイマイチ。
ま、永遠の課題ですw
昼は以前買ってたチキンラーメン。
オーソドックスに、鍋でなく丼で作ってみました。
丼なのでもちろん玉子スポットには玉子を落とし、
硬めが好きなので湯を投入直後から計って3分・・・
の予定でしたが待ちきれずにちょい前で蓋オープン。

んーーーー、ちょい硬すぎかな?
まぜまぜ・・・

美味しそうになりましたねえ・・・。
麺もちょうどいい硬さ。
ん?何?ココ?
バリカタ?ハリガネ?
そうなんです。
玉子スポットの下は玉子のせいでお湯の温度が冷めるのか
お湯が回りきらないのか分かりませんが、麺が硬いのです。
【教訓】玉子は常温に戻してから入れましょう♪
ちなみに博多の友人、
カップ麺を食べる時の待ち時間は「1分」だそうで、
さすがバリカタ本場の方は違いますw
(*)そのころ、コンパクトカメラはまだ持ってませんでした。

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ん?
視界の隅に違和感を感じた。

事務所隣のマンション下の駐車場。
事務所に一番近い位置に停めてる車が事故ってる。
いつもと違う光景。違和感はこれか。
コメットハンターの関勉さんに聞いたんですが、
Aという星の横にはこのくらいの明るさの星が、その隣には・・・
と、星の位置関係はすべて頭のなかに入ってて、
βクン、今日もお目にかかったねぇ
とか話しかけながら彗星捜索をしていた(*)そうです。
なもんで、見かけない天体があるとすぐ気づき星図で確認し、
なおかつ翌日移動してるのを確かめたうえで東京天文台に打電。
毎日見てる自宅の庭に、枯れ葉がポツンと落ちてたら気づくでしょ?
と例えてくれましたが、そりゃ気づくけど、それと一緒にせられても・・・w
関さんにとっては広い宇宙も自宅の庭みたいなものなんでしょう。
で、自宅の庭ではありませんがいつも見てる事務所周り、
違和感にすぐ気づきました。
Nightwishの「Over The Hills And Far Away」、訳詩が見つかりました。
無実の罪で逮捕され、アリバイはあるけどそれは言えない。
なぜならその夜、共に過ごしていたのは親友の妻だから・・・
という内容です。
素晴らしい。
ある冬の夜、彼らはやってきた
男は逮捕され、勾留された
強盗事件が起こり、
彼の拳銃が見つかったのだという
警察署へ連行され、
夜明けを待った
被告席に立たされたが、
彼は無実の罪だと知っていた
「被告は強盗の罪により告発され……」
廷吏が告げるのを聞く
彼は分かっていた アリバイなしでは
明日の太陽が彼の自由を照らさないことを
丘を越え 遙か彼方
彼は十年の月日を指折り数えることだろう
山を越え 碧海を越え
これからは虜囚として過ごす日々
大きな代償と知りながら、
彼は言い出せなかった
その運命の夜に過ごした場所は、
語れぬ秘密のまま
彼は感情の涙を懸命にこらえ、
心臓は太鼓のように打ち鳴らされる
彼にとって自由な最後の夜、
親友の妻とともに過ごしていたのだから
丘を越え 遙か彼方
彼はいつの日か戻れる日を誓う
山の彼方から 碧海の彼方から
いつか彼女の腕の中へ戻る日が来る
丘を越え 遙か彼方
毎夜独房の中、
鉄格子越しに外を眺め、
彼女からの手紙を読み耽る
いつの日か彼も自由を味わう日が来るだろう
丘を越え 遙か彼方
彼女は彼がいつか戻る日を祈る
川が海へ還るように
いつか彼の腕の中へ戻る日を誓う
丘を越え 遙か彼方
彼はいつか戻る日を誓う
山の彼方から 碧海の彼方から
いつか彼女の腕の中へ戻る日が来る
丘を越え 遙か彼方
彼女は彼がいつか戻る日を祈る
川が海へ還るように
いつか彼の腕の中へ戻る日が来る
(*)過去形なのは今は写真捜索だから。小惑星中心みたいですね。

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その一因として
台数が増えていることもありますが、それだけではありません。
たとえば、大型車の駐車マスに小型車が停まっているために、
大型車が停められない、あるいはその逆のケースもあり、
ご利用マナーに起因する駐車マス不足も起こっています。
そっか、
大型車の駐車マスに小型車を停めるのはマナー違反になるのか。
マルシマの醤油をたまに買いに行く「とさのさと」って店には
「軽自動車」専用スペースがあり、しかもけっこうな枠数があり、
大概の場合空いてるんですよね。にも関わらず普通車枠に停めてる
軽四が多く、結果、普通自動車スペースが空いてない時があり、
僕みたく生真面目な客は仕方なく帰ってますw
まあ、軽四といえども最近のは大きくなったから軽スペースでなく
普通車枠の方が停めやすいのは確かだし、軽四枠には「軽専用」
って書いてるけど普通車枠には「普通車専用」と書いてるわけじゃないから
「マナー」違反になりはしないだろうけど、お店のこと考えてあげたら
軽は軽四スペースが空いてたらそこに停めればいいのになあと思います。
場所も入ってすぐのところなんだし。

<ここは「とさのさと」ではありません>
パースがついてることもあるけど、
今の軽四の方が昔のサニーよか大きいですw
サニーの停めてるとこは「軽専用」枠だけど前後もはみ出てないしw
「とさのさと」ができたころはお城の下(近く)にありました。
いつ現在地に引っ越したのか覚えてませんが、
お城の下にあったころの、店内に飾ってた写真は殆んど僕が撮ってました。
各地の婦人部の方や地場産品、そんなのを撮りに県下各地を回ってました。
食べ物も撮りましたがもちろんあとで「試食」しますw そんな中で
一番感動したのは十和村(旧)でごちそうになった「蒟蒻の刺し身」。
特有の臭いが苦手でしたが臭いもなく、蒟蒻ってこんなに美味しかったのか
と、それから蒟蒻が好物になり、今でも「刺し身」は買ってみますが
あの時のを超えたものには当たりません。
高知県下、全ての市町村回ってますが、
一番最後に訪れたのは「三原村」というとこです。
硯が有名ですね。

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孫は4人います。一人は県外に、三人は地元に。
地元の孫の運動会です。県外の孫の運動会を
見に行くほどゆとりはありません。お金のね(^_-)-☆
地元は長男の子で4歳児(年中)・2歳児・1歳児。
3人が3人、田舎の子ーーーーという感じです。
県外は次男の子で小3。ジャニーズ系ですw
でも、4歳児、友達と遊んでて耳にキックを受け、
鼓膜が破れたそうで残念ながらお休みです。

安静にしとかないかんのでしょうが、
子どもは熱でもでてないかぎりそれは無理ですね。
したがって今日は爺さんカメラマン。
いつものようにカメラマン「特等席」でなく、
その他大勢の中に紛れ込んでの撮影なので
場所取りがどうなりますことやら・・・ですが

フィールド内に自由に入ってます(笑)
僕のいる位置は一応フィールド外なんだけど、
ここは専属のカメラマンも来てない(いない?)ようで、
ま、細かなことは言わないんでしょう。
なのでこんなことも・・・

せっかくのシャッターチャンスだったのに
「おじいちゃん しゃしん じょうずねえ」
と言われそこないましたw
今日、ランキングが「写真」で891位、「その他」で323位になってました。
写真では初めての3桁、その他では初めての300番代です。
みなさんにクリックしていただいてる賜物ですが、
クリック数が多くなってるわけでもないのに順位は上がってる。
ま、ランキングは相対的なものなので、自分とこのクリック数が
変わってなくとも上がることもあるでしょうが、
ちょいシステムが分かりません。
例によってご近所さんを訪ねましたが
ちょくちょくお出でくださる方などもいて楽しかったです。
明日は落ちてるかな?

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