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彼等の過去の歴史に涙するのではなく、独自の考えを持って欲しい
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53万坪という広さが想像できるだろうか。
写真中 A が午前中に行ったアウシュビッツ収容所。
B がこれから入らんとするビルケナウ収容所だ。
広大なその土地はなんと53万坪。
そこにナチスは10万人の囚人達を閉じ込めていた。
行く行くは20万人を収容する予定でいたという。

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入ってすぐの管理棟から右を見ると男性収容棟が見える。
まん中に鉄道引き込み線が通っていて、
それを境に男女が分けられていた。
男性収容棟はごらんのような木造だ。

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左を見ればレンガ造りの女性収容棟が。
手前の方には建物の跡しか残っていない。

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鉄道引き込み線と管理棟。

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見張り台も朽ち果てていた。
半世紀以上の時の流れを感じる。

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私達は女性収容棟の方へと入った。

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入ると同時に風が吹いてきた。
5月の風の爽やかさを私は感じた。
が、彼等にそれを感じるゆとりがあったのだろうか・・・

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このように、ほぼ完全な形で残っている建物は少ない。

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ナチスは退出時、証拠隠滅のため
あらゆる物を破壊して出て行った。
煙突だけが残った建物跡があちこちに見える。

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ここには300棟以上のバラックが建てられたが、
殆ど完全な形で残っているのは45棟のレンガ造りと
22棟の木造造り囚人棟だけだ。
前にも述べたように殆どをナチが破壊して退出した。

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女性収容棟内部。
うす暗い、家畜小屋のようだ。

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「3段ベット」と呼ばれていた寝床。
1段に8人が、腐ったわらの上に寝かされていた。
3段というからには一番下の段にも寝ていたのだろう。
下も悲惨だが雨ともなると上段も悲惨だ。雨が漏るから。

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天井部分。
瓦がむき出しになっている。当然雨は漏る。

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馬か牛の餌場かと思ったら人間の洗面所だった。
邪口の数を数えると32個あった。
これを4000人が使用した。
ひとり20秒ときめられていたので、
全員が洗い終わるのには
単純に計算しただけでも42分もかかってしまう。
なお、身体は洗えなかった。

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ここはトイレです。これも4000人が使用した。

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説明を受ける一行。
まん中あたりにいる男性がガイドのピンドールさん。
左端の女性が添乗員。
学生のころからリュックを担いで
世界を回っていたという行動派の女性。
素敵な女性だった。

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国旗を持った、修学旅行生らしきイスラエルの若者達が
破壊されたガス室の回りにいた。
民族主義的で、ちょっとイヤな気持ちになった。
ピンドールさんも顔をしかめていた。

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破壊された、ガス室の内部。

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同じく、破壊されたガス室。

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男性収容棟。
もともとは52頭分の馬小屋。
今回は時間がなくて見学はできなかった。



ポーランドでは14歳になるまではアウシュビッツを見学させない。
認識が不十分な段階では誤った見方をする恐れもあり、
逆効果を考えてのことだという。
そのかわり、それまでに学校できちんと教え、
授業の一環として見に行くそうだ。
もちろん、親の責任において連れて行くのはいくつでもかまわない。

日本の場合はどうだろうか?
広島や長崎の原爆資料館に、修学旅行で行くのは確かだ。
だが、私は写真屋として付き添った数少ない経験でしか言えないが、
余りにも時間が少なすぎはしないか。
ガイドも付いていない。
各自がバラバラに見て、果たして理解が深まるだろうか?

「ここへは学習した後で、何をするべきかを教えてくれる教師と来るべきです。
そして、彼等の過去の歴史に涙するのではなく、独自の考えを持って欲しい」

博物館教育部長の言葉は、僕の胸奥にしみこんだ。

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アウシュビッツ・・・終り




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私達の希望は未来に生きる子供達の上にあった
昨日の続きです。

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同行の一人が質問した

「『アンネの日記』のアンネの痕跡はありますか?」

ガイドのピンドールさんは

「アンネ・フランクという人はいました。
でも、その人があの日記のアンネかどうかを
確かめることは不可能です」

とそっけなく答えた。

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私は考え込んだ。
ここはユダヤ人だけでなく、ポーランドや他の人達も含む
150万余が犠牲者になっているんだ。
アウシュビッツといえばユダヤ人(だけ)という見方は必ずしも正しくない。
ナチズムの犯罪による犠牲について、
ことさらユダヤ人だけをクローズアップすることはなく、
日記のアンネにしてもここでは夥しい犠牲者のひとりにすぎないんだ。
クローズアップするならば犠牲者ひとりひとりがそうされなければならない。
ピンドールさんのそっけない態度はそう言っているように思えた。

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収容所内でもレジスタンス運動は密かにすすめられていた。
だが、見つかった者は、見せしめのために
仲間の眼前で射殺された。(花束のあるところ)

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金網の向こうに、絞首刑台が見える。

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3段ベット。一段にふたりが寝る。
ここはポーランド軍の旧兵舎を利用しているので住環境はいい方だろう。
だが、午後から行ったアウシュビッツ2と呼ばれる、ビルケナウは悲惨だった。

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親衛隊の部屋だろうか?
壁にヒトラーの写真が架けられている。
この辺になると、写真を撮りながら進む僕は皆から遠く取り残されていた。

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鉄条網には逃げ出せないように高圧の電流が流されていた。

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大量虐殺がおこなわれたガス室に入る。

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ここからチクロンBは投入された。(ストロボ使用)

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ガス殺された犠牲者達はこのように折り重なって死んでいた。
信じられないくらいの人数だ。
出口に殺到したためにこのようになっているのだろうか?

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死体を焼いた焼却炉。
あまりにも数が多い時には外に積み重ねられていたようだ。
ストロボを使用しているので明るいが、実際は薄暗い。

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前館長(2000年当時)のスモーレンさんと交流した。
彼は収容所内のレジスタンス運動の中心的役割を担った人だ。
生き残れたのは身体が特別頑丈だったわけではく、
過酷な労働現場から事務職に配置転換されたからだと言う。

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「生きてここから出られるという希望や展望はありましたか?」

という質問に対し

「生きて出られるとかよりも、ここアウシュビッツでいったい何がおこったのか、
後世の人々に伝えなければならないと思った。
私達の希望は未来に生きる子供達の上にあった」

と答えてくれた。

写真は外部の活動家達との連絡に使われた
タバコの巻き紙。びっしりと暗号文字が書かれていた。

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アウシュビッツ2と呼ばれるビルケナウ収容所行きのバス停。
学生風の若者が数多く訪れていた。


つづきます





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アウシュビッツ -その1-
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20世紀最後の夏、アウシュビッツへ行ってきました。
終戦記念日前後、テレビなどでは突然戦争特集になります。
まるで夏の風物詩って感じです。
でも、それらの多くは戦争の悲惨さを伝えるだけです。
それでいいのだろうか?
と、夏が来る度に僕は思います。

なぜ戦争を止めることができなかったのか?
戦争に反対した日本人はいなかったのか?
日本でレジスタンス運動はおこらなかったのか?

反対した日本人はいたしレジスタンス運動もおこった。
なぜそれを教えないのか伝えないのか。
外国のレジスタンス運動は英雄的に取り上げるのに、
本当に疑問です。

「団体旅行」で許される範囲内での行動です。
本などで見る写真とは比べ物になりませんし
僕はアウシュビッツについての研究者でもなんでもありません。
ここに記していく事柄は現地のガイドさんに聞いた事が主です。
なお、2000年当時の貧弱なPC環境での作業ゆえ、
写真のサイズも小さく、見づらいですがご勘弁を・・・


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「働けば自由になれる」と書かれた皮肉なプレートをくぐり抜け、
収容所内へと入って行った。

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女性がひとり放心状態で座っていた。
あまりの悲惨さにやりきれなくなったのだろうか?

どんな場所に行ったとしても、素敵な女性がいれば
レンズを向けてしまう私です・・・^^;

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ナチは、強制労働につかす囚人達を鼓舞するべく、
捕虜の中から音楽経験者を選びだして楽団を結成し、
朝夕演奏させたそうだ。

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「この捕虜収容所にはヨーロッパのいたる所から囚人が送り込まれた」
という事を表した図。中央の丸印がアウシュビッツ。
アウシュビッツという名は占領したナチがつけたもので、
元の地名はオシフィエンチム市という。今はもちろん後者だ。
解説を聞き、日本も同時代に朝鮮に対して同じ事をしたのを思い出した。
侵略者というのはする事が一緒だ。

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ナチがこの地を強制収容所に選んだ理由として

・ポーランド軍の基地があったためその兵舎を利用することができた
・ふたつの川に挟まれていたため隔離するのに都合がよかった
・線路が通っていたため、大量に送り込むのに便利だった

などがあげられる。
写真で見るとおり、思ったよりきれいな事に驚かされた。
が、その思いは、午後にはくつがえされた。

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当初ナチは、このように写真を撮って囚人達を管理した。
しかし、大量に送り込まれるようになると時間と経費の
節約のために、腕への入れ墨に切り替えた。
幼い子供の写真もあった。

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死体を焼いている写真。
こういった写真が残っていること事体が珍しいそうだ。
というのも、ナチは退却の時、証拠隠滅のためにあらゆる
資料を焼却して出て行った。
そんな中の、かろうじて焼け残った写真の一枚だ。

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こういった、オブジェ的展示品は少ない。

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大量虐殺に使用されたチクロンB。

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クツの山。
いったい何万足のくつがあるのだろうか。
犠牲となった人々一人ひとりが残したモノは、
圧倒的迫力で見る者を襲う。

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義足類。
身障者も容赦なく連行された。
いや、戦争になると社会的弱者こそがまず抹殺される。
日本でもそうだったではないか。

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可愛かったであろう子供の、
小さな洋服やおしゃぶりが見る者の涙を誘う。
いったい彼等に、虐殺されるべき何の罪があったというのか。

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食器類。
ナチは、連行するにあたり持ち込む荷物の重量を制限した。
収容者はとうぜん軽くて高価な貴金属類を持ち込む。
彼等はそれらをかたっぱしから掠奪した。

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かごやボストンバック類。
ここは悲惨さを売り物にしたりはしていない。
ただ事実だけが展示されている。
だが、その事実を直視する事により、
侵略者への強い怒りが湧いてくる。

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メガネの山。

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司祭の服で作った布。

   *********

ガイドのピンドールさんの話によるとナチスは当初、
アウシュビッツをユダヤ人虐殺のために作ったわけではなく、
ポーランド人の政治犯を収容するために作ったそうだ。
そして、アウシュビッツがポーランドにあるために、
大量虐殺を行ったのはポーランド人だという
誤った認識を持つ若者が増えているらしい。

なお、ピンドールさんは日本留学の経験もあり、日本語はペラペラでしたw


つづきます



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小さな部屋の世界地図
はるかな はるかな
見知らぬ国へ
一人で行くときは 船の旅がいい ・・・・・・

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     **********







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荷室はダメだけど客室ならOKよ???????????
消防法で思い出しましたが、ニコンのD100を使ってた頃、
博多空港でカメラバッグを荷室に預けました。

中味はなんですか?と聞かれたのでカメラですと答えました。
電池はありますか?ということなのであります、と。
種類か電池固有の番号とかを聞かれたのだけど
そんなもの覚えていず、バッグを開けてこれですと見せました。
お姉さんがリスト票みたいなので確認後

この電池はお預かりできません

と。
え?今まで預かってくれてたのに、
じゃどうすりゃいいの?って考えてたら

荷室では預かれないので手荷物として客室に持ち込んで下さい

とのこと。
意味分からんと思いながら

このカメラ(D100)にはこれと同じ電池が入ってますが、
じゃ、このカメラも預けられないってことですか?

と聞きますに、

カメラは大丈夫です。お預かりできます。

とw
ますます意味分からん状態だったんだけど、
そんなことで文句垂れてもしょうがないので予備電池を
取り出したカメラバッグを預けた・・・ことがあります。


また、寒い寒い冬のこと、東京に行ったわけですよ。

寒いので懐炉を懐に入れ飛行機で。
その懐炉はコレです。

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ZIPPOのオイルライターではありませんよ。
オイル充填式カイロw
正式名称はハンディウォマーだとか・・・
セットで買えばこんなものが付いてきます。

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まず本体。オイル、注油カップ、本体を入れる専用袋。
袋に入れないと熱いです。
入れるオイルの量により発熱時間が変わり、
最大24時間。上等ですね。
オイルを充填し、触媒に火を当てるのですが
着火するわけではなく、発熱作用のきっかけを作るための「火」です。
すぐに化学反応によって暖かくなります。
もちろん繰り返し使えるし、天体写真撮る時に
結露防止としても役立つので使い捨てカイロとはちと違います。

おっとっと、ZIPPOの回し者ではないので話を元に戻します。

高知空港はなんのこともなく通過・・・
てか、人相は怪しいかもしれないけど「止められる」理由がない。
とその時は思ってたわけなんですが・・・・・・

帰り、羽田でストップ。
ZIPPOのこの懐炉がダメなんですって。
高知ではなーも言われなかったのになんで?

持ち込みも、手荷物で預けることもできないとのこと。
つまりは飛行機に乗せること自体ができない。
じゃあどうすればいいのよってことになりますが

「空港でお預かりすることはできます。
お帰りはいつですか?」

お帰りち、行くがじゃない!これから高知に帰るの!

空港で預かってくれるといっても2週間だし、
その間に東京に来れなければパーじゃん。
出発地である高知で没収されたのなら救いはあるのに
なんで羽田でよ。
こんなこと、各飛行場で対応が違ったら迷惑このうえないよ。
とか思ってたら

「宅配便かなにかで送る方法もありますよ」

とアドバイスをしてくれましたw
懐炉1個送るのに送料バカになんないのでそれはやめ、
預けることにし、仕事を無理やり入れて
1週間後くらいに取りに行き他のものと一緒に陸送。
無事に高知に着きました。
懐炉ひとつトリモロスために仕事を無理やり作れるなんて、
昔は良かったですねw


それから後、二つ目のこの懐炉を買った時、
段ボール箱にこんなのが貼られてました。

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「航空機搭載厳禁・陸上輸送専門貨物」。
この「航空機搭載厳禁」ってのは当時からあったようで、
今思えば通してしまった高知空港のミスですね。
羽田の綺麗なお姉さん、機嫌悪くしてゴメンナサイ。






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いい機材は美しい♪
「オレはハートで写真を撮るんだ」

と言って胸の辺りにカメラを構え、
ノーファインダーで写真を撮ってた先輩がいて

「じゃ、僕はナニで写真を撮りますワ」

と先輩を茶化したってのは前に書きました が、
ストラップはどうしたんだ?って話になりますね。
当時そんな長いストラップはありませんでしたから。

なけりゃ自分で作る以外ありません。
幸い「紐」でいいわけですから自分でもどうにかなります♪
その辺で適当な紐を買って来てそれを三つ編み(*1)にし、
へそ下10cmくらいにカメラが位置するようにストラップを作り

「ジミー・ペイジだぁ」

と言ってカメラを構えてました。
先輩はさしずめ田端義夫w

でも、歩く度にナニが刺激を受け、
実用には不向きですぐにやめました(笑)

なけりゃ自分で作りゃいいワ

ってのが自分のライフスタイルです。
そうは言っても見てくれはともかく、
紙や木材なら素人細工でもなんとかなるものはなるんですが、
こと金属ともなるとそれなりの設備や経験、
技術がなければなんともなりません。
だから鉄工所なんかの仕事にはギャラが安くても喜んで行きましたね。
そこの誰かと仲良くなってりゃいいことあるからです。
バイクのワンオフ部品なんか、けっこう作ってもらいました。

で、カメラの機材って、けっこうそういう

「(自分が使うのに)市販にいいのがなかったので自分で作った」

のが事の起こりのメーカーって多いですよね。
バッグメーカーしかり、三脚メーカーしかり。
バッグだとテンバは山岳カメラマン、
ドンケは報道カメラマンだったと思います。
ストラップのブラックラピッドはウエディングでしたね。
変わったところではバッグのクランプラーは、
自転車で書類なんかを運ぶメッセンジャーだったとか。
メッセンジャーバッグにいいのがなかったので自分で作って
使ってたところ、それを見たカメラマンに広がっていったようです。

で、以前、サイト見てた ら「こりゃいいワ」ってのがありまして、
そこもそういったメーカーでした。雲台作ってるとこです。

雲台といってもお分かりにならないかもしれませんが
三脚の上部にくっついてるアレです。
普通、三脚と雲台が一体となってますので
三脚といえば雲台も含めてるのが一般的になってますけど、
実際は別なんです。とりあえず写真をどうぞ。

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カッコイイでしょ?
カッコイイ以上に、コレ、優れものなんですよ。
通常すべりを良くするためにボール部分にグリス等を塗ってるんですが
コレはその必要がないんです。
だからベトベトしないしボール部分に埃がくっついて動きが悪くなる事もない。
技術的進歩なんでしょうか?それとも素材の改良か?

そんなことよりデザインですよ、デザイン。
コレって、天体望遠鏡のヨーク型赤道儀に似てません?

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写真で、白い骨組みの部分が望遠鏡です。
それを支えてるのが架台。架台の先は天の北極(*2)を向き、
その角度は望遠鏡を据え付けている地域の緯度と同じ。
なので、カメラの雲台の方は、さしずめ緯度45度の地域用ですねw

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この日の撮影は幼稚園児の集合写真。
カメラはニコンDfに24-70mmF2.8。
Dfにばっちり似合ってます。
雲台と三脚の間にはスリックのレベリングユニットを入れ、
水平出しが簡単にできるようにしてあります。
パノラマ撮影なんかの時は水平出しをきちんとせないかんですからね。

カメラのアクセサリーシューに差し込んでるのはProfoto社のAir Sync。
シャッターを切ると、ヒョローンと電波が飛んでいき、
光速で受信部に達しそれに繋いだストロボが光ります(*3)。

20170816e.jpg
<受信部。設定を変えれば発信もできる>

20170816d.jpg


外での撮影なのでAC電源用のライトは使えず、
クリップオンストロボを3台使って各ストロボの出力を絞り、
ある程度の連写ができるようにしてあります。
ひとつにはニッシンの外部電源を繋いで出力1/2。
あとの2つは単3形エネループで出力1/4です。
あくまでも「補助光」なのでこのくらいの出力でいいです。
あまり強く当てると不自然になりますからね。
ニコンのSB80-DXがシンプルで使いやすいんですが、
製造中止品なので壊れたらヤフオクで仕入れていますw
壊れたといっても海に落下したとか、です(笑)

ある時期以降のストロボは消防法かなんだか知らないけれど、
連写し、高温になったら安全装置が働き光らなくなるんで困ったもんです。
この頃のは消防法改悪前なので壊れるまで光りますw
息子にあげたSB-800(*4)なんか、発光部前のパネルが溶け、泡吹いてます(笑)
それでも壊れないのに、消防法っていったいなによw


PS:今日はなんか、写真サイトらしい記事でした(笑)



(*1)最近は四つ編みもできるようになり、ニコンS3オリンピックは四つ編みで作りました。
(*2)南半球の場合は南極
(*3)別売りの専用コードを使えば、カメラのシャッターを切ることもできます。
(*4)D500を買ったときSB-5000も買ったので、SB-800は息子にあげた。





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黒と赤と白に塗れ
今日はちょっと忙しいので手を抜いて、
4年ほど前に作ったテーブルの製作日記から・・・

事務所で、大勢でご飯を食べるとき用に
ホームセンターでベニヤ版を丸く切ってもらってました。
直径90センチくらいかな?
これだと4〜5人は余裕だからねw

脚もなく、厚さ1センチほどの薄い板だったので
ガラステーブルの上にひょこんと乗せて使ってました。
そのガラステーブルだと二人がやっとw
乗せただけだとちょっと危なっかしかったので、ある日、
脚を付けるついでにこれに絵を描こうと思い立ちました。

方法としては元絵をスキャニングし、
それをテーブル板に転写するという塩梅です。

絵といってもご飯食べたりするテーブルなので、複雑なのはダメ。
ぐちゃぐちゃした絵だとご飯がおいしく感じられないでしょw
なので、選んだのはストーンズの「ベロマーク」。
元絵となるポスターをヴィレッジヴァンガードで買ってき、
スキャンが一度で出来なかったので4回に分けてスキャン。
それを適当な大きさに、これも何枚かに分けてプリント。
うまくいくかな〜と適当に並べてみたのが下の写真です。

20170815a.jpg

なんか、大きさもバッチリでいい感じですね。
ではこれを、貼り合わすことにしましょう。

20170815b.jpg

ズレは適当に修正です。
元々スキャニングも1枚の絵を4回に分けてしてるわけで、
その際の平面性にも問題があり、
ま、どんなにうまくつなぎあわせても
多少のズレはでてくるという細工でしかありません。
なので見た目おかしくなければOKというものです。
だいたい元絵のポスターからしてストーンズベロを
正確にトレースしてるかどうかも怪しいし(笑)

ベニヤ板をサンドペーパーで磨いたあと
下地の白色を塗ります。それが乾くといよいよ・・・です。

まずは下絵の裏にカーボン紙を敷き、
テーブルに転写しベロと唇の赤を塗ります。
当然マスキングはしてますよぉ。

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意外と難しいです。

マスキングテープ剥がすのにしたって、
半乾きでしなさい、乾いてからしなさい・・・
とか、どっちやの?という感じです。

ま、どっちにしろ一度ではうまく塗れなかったので
重ね塗りにし、乾いてから剥がしました。
実際は三度塗っても上手くは塗れてないんだけど(笑)

とりあえずこんなもんでいいので、
後は黒を入れ、多少修整したら完成です。

20170815d.jpg

上の写真は2度目の塗り直後です。
BGMは当然ストーンズの「Paint it Black」。

さあ、どんなもんでしょう。
黒の仕上げ塗りをして、乾いたらマスキングを剥がします。
ちょっと怖いです。

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初めてにしては上等ではないかいなぁ(笑)
はみ出たとことかを修整し、
最後にクリアーを塗って完成です。
おっとっとその前に脚を付けてからクリアーですw

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けっこう面白かったですよ♪
今度は天板の厚いちゃんとしたテーブルを作りたいんですが、
その時は元絵をスキャンするのでなく、平行もちゃんと出して
デジカメで撮影し、もっと正確を期すつもりです。

みなさんもおひとつどうですか?
部屋がおっしゃれ~になりますよ♪






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敷居の高い場所
昨日の日記以外でも、アナウンサーの言葉遣いに対し、

ちょっとそれはおかしいぞ

と思うことはままありますが、
新聞は結構少ないんやないかな?
校閲がはいりますからね。
アナウンサーは生の場合、言っちゃえば巻き戻しできませんから(笑)

でも新聞だっておかしい時はたまにあります。

2年近く前になりますが、地元紙読んでたら
18才選挙権に関し、囲み記事がありました。

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で、文部科学省の担当者が

「投票所が敷居の高い場所になってはいけない」

と言ったというんですが、ここ、意味が分からない。

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だって「敷居が高い」は
義理を欠くことやご迷惑をおかけするようなことがあって、
その家に行きにくいという意味

でしょ?
投票所にどんな義理を欠いてるんだ?
投票所は小学校の体育館なんかを使うことも多いから、
通ってる時に悪さして、小学校には行きづらい人のことを
考慮して言ってくださってるのかしら?
優しいなあ。

多分、投票所が自分にはレベルの高い場所、
分不相応な場所と思わせてはならない
という意味で使ってるんでしょうけど、

言葉の乱れを指摘する文科省の人間がこれだから、
乱れっぱなしの僕は、少し勇気をいただいた、ちょい暖かい冬の朝。

と、当時の日記には書いたけど、
いくらなんでも文科省の役人が間違えるはずないやろ。
彼らは「頭だけはイイ」わけやから、
ここの部分は記者の「創作」なのかもしれないなー
と、最近サスペンスに凝ってる僕は疑うのでしたw









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あれダメこれダメ、でも、食べるのはOKよ♪
今日も暑かったです。
毎日嫌になりますネ。
今年の立秋は8月7日でしたね。

昔、

立秋だというのにこの暑さ・・・

などと言うアナウンサーがいましたが、
いまでもいるのかな?
今が夏の最盛期で、立秋を境に「秋に向かう」んだから、
立秋近辺が一番暑いのはあたりまえだろうが・・・
などとテレビに吠えてました(笑)
立秋を使いたいんなら「だというのに」ではなく、
立秋「だから」この暑さ・・・ですね。

それにしても暑い。
暑いので珈琲豆焙煎する気もおこらず、
最近はマテ茶を飲んでます。

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南米生れのマテ茶。
ゲバラも愛したマテ茶・・・と言いたいところですが
ゲバラはマテ茶よりも紅茶が好きだったとか、
何かで読んだ記憶があります。
記憶なのでアテにはなりませんが・・・

マイカップは砥部でのオリジナル絵付け
これはフランケンシュタインですw
円筒形の容器に、
斜めに向かって直線を描くのって難しいですね。
この図柄で言うと、意識的に下に下に線を引かないと
このカップのように曲がってしまいます。

マテ茶本来の飲み方があって、
専用の容器に入れ、先っちょに漉し器が付いた
ストローみたいな物で飲むようですが、
そこまでは凝ってないですw

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コカ・コーラからペットボトルで出てて、
僕はそれを愛飲してたのですが
僕の行動範囲内で売ってる店がなくなり、
ネットでこのマテ茶を買ってみました。
コカ・コーラのより美味しいですね。


高村薫さん第三弾はこれです。

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単行本では2巻のようですが文庫本は3巻。
そんなに厚くはないです。

サウペンスには凝る時期がありまして、
二十歳半ばのころに森村誠一に凝りました。
当時、写真スタジオ勤務でして、撮影がなければヒマw
2日に一冊のペースで読んでました。
そのころの森村さんのは全部読んだんじゃなかったかな?

映画「手紙」を観て感動し、
東野圭吾作品も片っ端から読みました。
11年くらい前かな?

観たのはイオンのシネコンですね。
高知のシネコンオープンしたとき、
ある女優さんが来て写真を撮りました。

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可愛かったです。
でも、それ以上に沢尻エリカが可愛い。

しかし、シネコンって、始まる前にあれすなこれすなと、
いろいろ言われます。当然のことです。
でも「食うな!」
とは一言も言いません。

あれ、結構うるさいと思うんですがねえ・・・バリバリと(笑)






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高知の夏、終了
よさこい祭りも今日で終了。
同時に高知の夏も終ります。
昔はこれが終われば暇になり、
子どもたちと2日に一度は川遊びに行ったものです。
川遊びは仁淀川に、1泊2日のキャンプは四万十川に行ってました。
そのどちらも人気の場ではなく、穴場的な場所でした。

仁淀川の場合は本流から枝分かれしたみたいな川があるところで、
台風後の、本流の水かさが増し危険な状態でもボクらの遊び場は
穏やか〜な感じ。子どもが大きくなったら本流の方でも遊べます。

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<画面真ん中辺、オレンジのテントの向こう側が本流>

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<川に慣れてない、都会っ子の孫でも安心して遊べます>

四万十川の場合は一応キャンプ場ではあるけれど
近くにもっと設備の整ったキャンプ場があり、
殆どの人はそちらに行ってました。
ただ、そこは「川」が遠く、小さな子連れだと歩いては大変。
車で行かなくてはならず僕はパス。
僕らがキャンプしてたとこはテント設営地から階段を下りるとすぐ川。
2分もかかりません(笑)。朝の6時ころから泳いでました。
四万十川は蛇行してるので川の水が暖かいのです。

ところでよさこい、
今年の大賞は「十人十彩(じゅうにんといろ)」というチーム。
最近はこのチームと「ほにや」が代わりばんこに大賞を受賞してたのですが
十人十彩に不祥事があったため2015年は出場辞退。
2015年と2016年と「ほにや」が連覇しました。
3連覇なるかと注目されたけどさすがにそれは・・・とは「よさこい通」の話。
僕は興味がないのでどちらでもいいです。
ただ「ほにや」の踊りは好きではありません。
特に「ほにやよさこいほにやよさこい」と掛け声がかかるところ、
聞いててゾクゾクします。
でも、そのよさこい通が言うには

「お前はそう言うけど、やっぱりほにやの踊りはえいぞ。
みんなピシッと揃うて感動し、鳥肌が立つ」

そうですw
北朝鮮のマスゲームも「揃って」るんだけど、
それは「ゾッとする」とか昔、言ってたんだけどな。
どこがどう違うんだろう(笑)

ほにやに限らず、北朝鮮でも自衛隊でも中学校の運動会でも、
一糸乱れず「揃ってる」のは、僕は、気持ち悪く、
元々の意味での「鳥肌が立」っちゃいますw

*****

ところで、先日の日記 の添付写真「舞う枯葉」。
あれを見てピンク・フロイドの「wish you were here」を連想したあなた、
立派なピンク・フロイド通ですw
あの写真を撮るとき、これをイメージしました。

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似ても似つかない?(笑)






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