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海洋投棄ではなく沿岸放出なんです
福島原発ポカン事故を一番取材してる方は
この方やないか?と思われる方の、
講演動画がYouTubeに上がってた。
彼の本は自分の母親が読んでも理解できるようにと
優しく書かれてるので、この講演も非常にわかりやすい。



時間のない方は下の質疑応答編の5分19秒あたりから見て欲しい。
汚染水問題の政府の欺瞞や、じゃあどうすればいいのかに応えています。



オマケです。
中国が台湾に攻め込むぞ〜と大声で吠えまくってる方は、
日本とアメリカがこの両国をどのように位置づけているのかを知らないのかね。
僕でも知ってることを、学者やジャーナリストともあろう者がと不思議です。







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今日はパクリだらけ
高校の頃はワールドボーイでオールナイトニッポン聞きながら
勉強をしたりしなかったりしなかったりしてたんだけど、
今はYouTubeをチラ見しながら仕事をしています。
ちなみにワールドボーイとはコイツ。

20221217.jpg

当時は一生懸命チューニングしながら聞いたもんですが、
YouTubeはそんな必要もなく楽チンです。
そのYouTubeで今年一番良かったのはこの3部作。






<この動画で語られている論座の記事→こちら

これらを見るまでは僕も預かり税だと思ってました。
最初のでは分かったような分かんないような感じでしたが
2作目でよーく理解出来、3作目はオマケです。

午前中、動画の要旨を書いてたところ動作が重くなり
そのままダウン。全て飛んでしまいました。
再び書く気力もないのでぜひ動画を見て下さい。

--おまけ--

20221217c.jpg

20221217b.jpg

消費税導入の前の年だったから34年前かな?
その年の9月18日、
消費税導入に反対する仲間が全国から20万人集まった。
この歴史的集会をNHK始め大手マスコミはフル無視(*)。
集会を彼らが知らなかったわけではない。
私達の頭上にはマスコミのヘリが音やかましく飛んでいたし、
場所は日比谷公園。NHKの庭みたいなもんだ
NHKに期待などしてなかった私ではあるけれど、
朝日が左だとかいう幻想はこの時捨てた。



(*)毎日だかが2行だけ報じていたという話を聞いたことはある。

(訂正)場所は日比谷公園でした。訂正してます。
また、同行の者に「あれがNHK」と教えてもらったから
すぐ側にNHKがあったと思いこんでいたけど
地図を見ると離れていて、決して「庭」じゃないね。




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<月経新聞ニュース速報>
月経新聞ニュース速報

IOCと東京五輪組織委員会は9日。
五輪の全競技を無選手で開催することを決めた。
コロナ非常事態宣言を受けた措置。
各選手は自国からZOOMで参加する
史上初のリモート五輪になる。
ZOOM画面を合成してテレビ放送する予定。







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極似する二人の男
今日は朝からドタバタで、仕事がなくてもドタバタで、
ゆえに落ち着いて考えるヒマもなく、
日記は転載でごまかします。

昨日届いた菅野完氏のメルマガです。
森友問題にあらかた片がつくまで、
菅野ショップへのリンクを貼れば転載OKとのことだけど、
このメルマガは「フォーラム21」誌への寄稿文の転載なので、
全文転載することは控えます。

「お母さんのところに連れて行ってあげる」
そう、小学生の姉は保育園に通う弟に声をかけた。弟は姉に言われるがまま床に体を横たえ、姉が自分の首を締めやすいように自ら進んで首を持ち上げたという。
 
狭いマンションの一室では、一年余りの間に、叔母が祖父を殺し、父母が祖母を殺し、父が母を殺し、母を殺した父が衰弱死している。自分を生み、抱き育んできた人たちが相互に殺し合う。まだ年端もいかぬのに、姉の一言で全てを理解し死を受け入れた背景には、異常という言葉さえ追いつかないほどの異常な環境が、この保育園児を取り囲んでいたからに他ならない。

<略>

まず男は家族の構成員それぞれの弱みを握る。そしてそれを「確認書」などの形で文書化していく。男はその文書を利用し、それぞれの弱みの大小に従い、家族間の食事や外出の制限の度合いを序列化する。そして序列最下位のものには、電気コードの先に金属製のクリップをつけた器具を躰に装着するという陰惨な制裁を加えるのだ。ただし、この制裁には「他の家族の悪口」を言えば逃れることができるルールがあり、このルールの結果、通電の痛みから逃れようと家族はこぞってお互いを密告しあうようになっていく。そして、疑心暗鬼に陥った家族は、あの男の支配下におかれ、明確な指示もないまま、お互いを殺し合うようになっていった。

後に「北九州一家監禁殺人事件」と呼ばれるようになるこの事件の捜査は難渋を極めたという。

<略>

新型インフルエンザ特措法に基づく緊急事態宣言を発出すると表明する記者会見で我が国の首相は「医療への負荷を抑えるために最も重要なことは、感染者の数を拡大させないことです。そして、そのためには何よりも国民の皆様の行動変容、つまり、行動を変えることが大切です。特別措置法上の権限はあくまで都道府県の知事が行使するものでありますが、政府として、関東の1都3県、大阪府と兵庫県、そして福岡県の皆様には、特別措置法45条第1項に基づき、生活の維持に必要な場合を除き、みだりに外出しないよう要請すべきと考えます」と、語っている。
 
これが読み上げるのに15分ほど必要な演説文の中で、唯一と言っていい「具体的な指示」の内容だった。政府を代表する立場として「緊急事態宣言」なる仰々しいものを発出してはいるものの、この部分を注意深く読み込めばわかるように、つまりは、「政府として、具体的な指示はしない」と宣言しているに過ぎない。しかも、首相自身がここで言明しているように、市民に「行動変容」を「要請する」主体は、首相ではなく都道府県知事なのだ。首相の立場は単に、「そう要請するように要請する」ものでしかない。

<略>

前出の記者会見で「失敗だったらどういうふうに責任を取りますか」と記者に問われた首相は、「最悪の事態になった場合、私たちが責任を取ればいいというものではありません」と答えている。「最悪の事態になった場合」でも「責任を取」らないと言明したうえで、「自粛の要請の要請」を行う--。ここには、二重三重の行為責任からの逃避が隠されている。つまり首相は、「俺が言ったんじゃない。お前らが勝手にやったんだ」という後に主張できる余地を、狡猾にも確保しているのだ……。

<略>

あの男――松永太死刑囚は、死刑判決が確定し死刑囚として拘置所に勾留されるいまもなお、自らが潔白であると主張し、自分はなにも指示しておらず、あの家族が勝手に殺し合っただけだと主張しているという。

<略>

そして、あの男――安倍晋三首相も同じ認識を持っているに違いない。自分は助言し、示唆しただけであると。最悪の結果に至っても、自分たちで考えてそう行動した市民の問題であると。だから自分には責任がないと。そう認識しているに違いあるまい。


菅野氏は自分が書き上げたこの原稿を読み返して、嘔吐したそうだ。
そんな、渾身の菅野メルマガは、下のバナー下「コチラ」から申し込めます。


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天安門事件
Facebookより転載。

シェア大歓迎です。
天安門広場では「学生は1人も死んでいない」という池上彰さんの講演での発言を批判されるTweet が多いのを見て、現場にいた私はこれを書かないわけにいかないと思いました。
池上さんの発言は正しいし、広場内に残っていた私が知るすべてのジャーナリストに共通しています。
1989年6月3日夜に、まず軍が天安門に広場に入るところから始まります。最初に入って来たのは装甲車でしたが、それはすぐに暴徒化した市民たち(学生たちではない)に火をつけられ炎上します。この時に兵士の方に死亡者がいても不思議ではありません。またその兵士を救おうとする軍と市民との衝突で、市民・学生にも怪我人は出ています。
そして軍はすぐに大量動員であっという間に広場の周囲を取り囲みます。この時ずっと高いところから兵士が空に向けて、何かの合図のように発砲していました。実はその弾丸が私の2、3m先に落ちてきて私はドキッとしました。
この頃、学生たちは広場の中央の人民英雄記念碑の塔の周りに集まりました。死ぬことを覚悟したかのような深刻な表情が伺えます。
そして私はそれを目撃してはいないのですが、学生たちのリーダーや一昨年亡くなったノーベル平和賞を受賞した劉暁波さんが、軍と交渉して、学生たちは平和に撤退するから退路を用意することを話しあいました。というか、軍が囲んだ後も、一方向だけずっと道は空いていました。
軍が囲んでから撤退が始まるまでは数時間かかっています。軍はゆっくりと人民英雄記念碑の方に進んできて、兵士たちが記念碑を占拠します。この時に兵士から学生への発砲はありませんでしたが、高いところにある学生側のスピーカーを壊そうとしての機関銃の発砲はずっとありました。
その連続する銃声を広場の外にいたジャーナリストたちが聞いたら、学生たちは虐殺されたと思ったかもしれません。ほとんどのジャーナリストはホテルに戻っていて、中にいたのは私を含め12,3人ぐらいです。携帯電話がなかった時代です。広場の外にいたジャーナリストたちが、中からの銃声を聞いて虐殺が行われていると思って
「何百人、何千人が死亡している模様」
と、推測による第一報を次々と送ってしまったのです。これが事実が間違って伝わっていく原因でした。広場にずっといるような記者達ではなく、ホテルに戻っていた記者達です。
そして記念碑を離れた学生たちはゆっくり、ゆっくりと退路へ進んでいきます。戦車前に大勢がいる写真がありますが、緊張感がないのが判るかと思います。虐殺が行われている様子ではないのが判るかと思います。
そして最後に学生リーダーが手を繋ぎました。それは戦車を止めようとしているのではなく、学生が戦車に向かうのを止めているのです。彼らの学生運動には3つのスローガン
あり、「民主主義・報道の自由・非暴力」でした。なので撤退を決めたのは「非暴力」というスローガンに忠実だったのです。
広場から出た私はすぐにタクシーでホテルに戻り(タクシーが拾えるような状況だったのですよ)、短波放送でVoice of America を聞きました。そしたら広場で学生たちが300人以上死亡したと報道されていました。しかし、それは事実と違うのです。そもそもその放送局の記者は現場にはいなかったのに。
以上が天安門広場の中で私が目撃したことです。広場内ではなく、広場の外で軍と市民との衝突があり、そこでは軍が市民への銃撃をおこなっていて死者がでていますが、市民が暴徒化して軍に向かって、軍にも死亡者が出ている状態です。これらは学生たちではなく、市民です。広場内の学生たちは「非暴力」のスローガンに忠実だったのです。
なので天安門事件を正しく伝えていないのは、西側ジャーナリズムの方です。ほとんどが伝聞や想像での記事で「何百人、何千人、何万人」と数字をエスカレートして増やしていきました。でも広場に残っていたジャーナリストは死者を見ていないのです。
もし西側ジャーナリズムがこの事件の顛末をきちんと報道していたら、中国の民主化は多少なりとも改善したのではないのか、という気持ちが私にはあります。中国政府の高官達と思われる集団は、広場に隣接している建物の高い階から、様子をずっと見ていました。私はその姿を目視しています。
人民記念碑や天安門広場は中国政府にとっても大事な場所です。そこを血の海にはしないという意図を私は感じました。
だからこそずっと最前線で取材できたのです。
真実を調べて語っている池上彰さんの名誉のために記しました





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