そんなこっと言われてもぉ♪
先だっての土曜日、懇親会のあった日ですが、
実は菅野氏が「よるバズ」に出てたんです。
見たかったんだけど20時からの生放送だったので見ることができず、
25時からの再放送を見てました。酔い覚ましも兼ねてw
とは言ってもビールをグラスに3杯くらいしか飲んでないし
自転車で20分くらいかけて帰って来たしで
既に酔は覚めてましてけど、一応念のためってことで。

その中でヘンリー王子の挙式の様子が「実況」中継されてました。
再放送だから「実況」ではなくなってたけどねw
馬車でパレードしてましたが、ああいった場合の
「正規」の乗り物はいまだに「馬車」なんですね。

妻になった方、綺麗な方ですねえ。女優さんだとか。
ウエディングドレスも素敵で、似合ってましたがそのドレス、
ポールマッカートニーの長女のデザインですってね。

みのもんたが「天皇は呼ばれなかったの?」と不思議がってたんだけど、
天皇はおろか、各国の要人も呼ばれてないらしい。
その代わりと言ってはなんだけど、元カノは呼ばれてたとか (゜o゜;
まぁ、なかなか、楽しい方です。


実は私も、元カノに

「結婚するから写真撮ってよ」

と頼まれたことがありまして

「それはいくらなんでも、それはいくらなんでも、ご容赦ください」

と断ったんですが

「私を一番綺麗に撮ってくれるのはTAMARAやから」

とか、自尊心をくすぐるわけですよ。
でもね、いくらそう言われても(自信はあるけどw)撮りづらい。
それに、披露宴はなく、結婚式だけを神社で、
それもけっこう格式の高い神社でやるらしく、
だったらこっちも自由に動けない。
自由に動けないということは撮影ポジションが同じ、
イコールアングルが決まってくるという図式が成り立ちまして、
僕の好きな撮影スタイルじゃない。
なので

「その条件では誰が撮ってもそがに変わらんと思うぜ」

と断りました。
女性を綺麗に撮る、という行為はやはり
吐息の掛かるくらいの距離で撮らんといけません。
写真から、お互いの息遣いが聞こえてきてこそ、いい写真ってもんですw

モノクロでの婚礼スナップ写真ってのも何組か作りました。
キングのクリアーファイルの片面に6切りの手焼き写真、
見開きのもう一方の片面に手書きの詩を書き入れました。
詩はビートルズやピンク・フロイドの訳詞です。
今だと1冊から本にもなるし、もっといい物ができますね。










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買わない理由
よさこいはいろいろと思い出ありますね。
思い出っつっても幼稚園は今現在も撮り続けてるんですけどねw

何周年かの記念祭のとき、ペギー葉山さんが来賓で訪れたんですよ。
「南国土佐を後にして」の歌手であるペギーさんは名誉県民じゃなかったかな?
で、その年、お城の下の特設会場で後夜祭が行われました。
ステージ上では来賓のペギーさんが挨拶されている。
僕はチャランポランな人間に見られがちですが、自分で言うのもなんだけど、
けっこう真面目な性格でして、仁義は重んじる(笑)。
なので、こういった、来賓の挨拶はちゃんと聞いている。
襟を正して、とか、そんなことはしないけど聞いてないふりして聞いているw
ニコンの撮影会なんかでも先生の話はちゃんと聞いてます。
その時役立たなくてもいつかどこかで

あ、あの時先生が言ってたことはこういうことか

と気づくことがあります。
写真学校時代の先生の話、今頃気づいてるしw
先日の懇親会でも、気になる「名言」というのは記憶してます。

あんた、誰やったぞのぉ?
私の中ではレジェンド
写真には文学が必要

とかw

話がそれましたが、ペギーさんの話に耳を傾けてる僕のそばでは
後夜祭に残った若い踊り子たちが談笑してる。
話は聞いてそうにないけどそれは仕方ない。
そこに、脚立を担いだ地元の新聞社のカメラマンがやって来て、
脚立に上がり談笑してる踊り子たちにレンズを向けた。
そりゃやっぱり、撮られて嬉しい踊り子たちははしゃぎます。
鳴子を頭上で鳴らしながらワイワイワイ。
はしゃぎかたが物足りないのか、カメラマンは左手を上方に
振り上げながら「もっとノレ」とごとく踊り子たちを煽る。
「イイ」写真を撮りたいがために踊り子たちを煽る。
ステージでは来賓であるペギー葉山さんが挨拶をしている。
挨拶はもう、叫声で聞こえなくなった。

僕は頭にきまして、カメラマンの足をトントンとノック。
反応なかったのでパシンと平手打ちw
こちらを覗き込むカメラマン。

来賓の方が挨拶されゆうがぞ。つつしめ!

カメラマンはひと言詫び、去っていった。
僕は別に、踊り子たちが自らが踊りだすのはなんとも思わないし、
ペギーさんの話声が聞こえなくなったから怒ったわけではない。
大の大人であり、それも「良識」があるとされる新聞社のカメラマンが、
来賓の挨拶をよそに煽り立てるのにはどうにも我慢できなかった。
白鳥の群れの中に石を投げ入れ、驚いて飛び立つ白鳥を
撮って「イイ」写真が撮れたとしても、それがなんになる?
踊り子たちがはしゃぐ写真なんて、挨拶が終わればいつでも撮れるだろう。
挨拶の間くらいジッとしとけ。

新聞社のカメラマンも僕も、間接的ではあるが
よさこいで食わせてもらってる。
ならば、その来賓が挨拶してる間はジッとしとけ。
踊り子や、趣味で撮られてる方は別次元の話だけどね。


それから数年後、お仕事もらってる幼稚園の運動会。
当時最高級のD◯に、70-200mmのズームを付けた保護者がいた。
見覚えのある顔の、アイツだった。
卒園までに、アイツんとこは、1枚も写真を買ってくれなかった(笑)



そのカメラマンとはよさこい以前にもいろんな現場で
ちょくちょく一緒になってたので顔は覚えてました。
特徴ある顔だったし。先方はどうだか知らないけど。





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デジタルへの切り替え
先日の日記 で、自分が撮った写真だと
撮った本人が気づかないほど加工されてたことを書きましたが

あんた、そんなことされて腹立たんのか?

とお思いでしょうけど、僕はいっさいそういうことはありません。
どんなに加工されてもけっこうです。
商業写真を「自己表現」だなんて言うつもりはありませんが、
そう仮定するとデザインだって自己表現になるわけで、
僕はその「素材」を提供したに過ぎません。
自分の手元を離れた写真がどうなろうと僕は感知しません。
もしそれがいやなほどの「名作」ならば、他人に譲渡なんてしませんから。
ま、使い方ヘタだな・・・くらいは思いますw

そのセントラルグループの写真はある代理店を介して撮影するようになりました。
代理店も、間に立つのは面倒だから、勝手に仕事してってことで
ギャラから何までコチラ任せ。やりやすかったです。
参加の踊り子全員を撮るのではなく、
広告に使う宣伝材料として撮影して欲しいとのことだったので受けましたが、
数年経って「全員も撮れないか?」と打診があったけど「無理」と
断ったらビデオ屋が撮ってて

「TAMARAさんが撮らんき撮らないかんなった」

とボヤいてました。
撮る「視点」が違いますからね。
同時に両方撮るなんて、そんな器用なこと僕にはできません。
それに宣材用の方が楽なんですよ。
踊りの上手い子ばかり撮ってたらいいわけだから(笑)
全員を抜かりなく撮るっていうのはけっこう大変ですし気を使います。

宣材用といっても、俗にいう「決定的瞬間」みたいなのには
興味が無いので、流れの中の一瞬みたいなのを撮ってました。
気に入られなきゃ次回はないだろうけど、
セントラルが一旦よさこいから離れるまで依頼があったので、
ま、気に入られてないってことはなかったんだと思います。

20180521a.jpg

20180521b.jpg

20180521c.jpg

20180521d.jpg

添付画像は2003年のです。
この年からデジタルで撮るようになりました。それまではカラーポジ。
フィルムからデジタルに切り替わったきっかけはセントラルなんです。
「デジタルで撮ってくれないか」と言われたのが2001年のよさこい終了後。
翌2002年にはD100を買い張り切ってたのですが、同年8月10日・・・

10日はいつも幼稚園の撮影後セントラルに合流してたんですが、
その幼稚園の踊り子隊が追手筋本部競演場に整列し、
今まさに踊らんとする直前、スコールのような豪雨襲来。
逃げ場もなくカメラずぶ濡れ、園児もご覧の通り。

20180521e.jpg

本部競演場を踊り終えたあと雨はあがったけど
この年はこれにて園児たちは踊り終了。D100も終了。
デジタルカメラは「電気製品」というのを実感しました。
D100壊れちゃったので肝心のセントラルはこの年もポジ撮り。

セントラルの踊りはツェッペリンのイメージなんですよね、僕には。
その年の踊りの曲がどんなのであろうと「胸一杯の愛を」から始まります。
そして最後は決まって菜園場競演場で踊りをしめるんですが、
踊り終えた大人の踊り子達が
最後に踊る子供達の回りをとり囲んで盛り上げるんです。
あれはねえ、感動ものですね。そのシーンを撮ってる途中から
僕の心の中には「天国への階段」のメロディが流れてきます。

なぜツェッペリンなのか良く分かりませんが、
多分「狂熱のライヴ」の映像が影響してるのだと思います。
音楽が聞こえて来たチームは他にはありません。
踊ってる姿を見て感動したのもセントラルだけです。

そのセントラルがよさこいに復活してますがもう撮ってません。
今また依頼されても撮れないでしょうね。
あの激しい踊りにロートルはついていけません。
昔撮ってた時、ある県外チームの踊り子が言いました。

セントラルかっこイイ!最高!でも、踊りたくな~い。激しすぎて死んじゃう・・・








上記とは別のビデオ屋がある日、
◯◯写真館が、婚礼のスナップ撮るバイトを探しゆうけど誰かおらん?
と聞きますので「オレは?」と自薦

「TAMARAさん、言われた通り撮らんろ?」

と言われ却下。
なかなか人を見る目があるビデオ屋さんでした。
下請けになるからね。その写真館のスタイルで撮らないかんのよね。
「無理」w





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「私の中ではレジェンド」
遠方より友あり、よって開催は16時・・・
だったんですがお開きは22時w
遠方の友はどうすんだよ状態の懇親会でしたが、
久しぶりに写真の話で盛り上がりました。

週末のかき入れ時、総勢9人に
6時間も居座られたお店は大迷惑だったことでしょうけど
T吉(弟)さんの親族らしく、居座ることを見越して
街から離れてるけどココにしたそう。
料理も美味しく大正解でしたね。

言い出しっぺのT吉(弟)さんは僕の居所をつかめていず、
仲間のSさんから電話があり参加できたのですが、
Sさんも知らなきゃ誰かに見つけてもらえるのを
待つばかりだったんだなぁ・・・と、Sさんに感謝。



参加は旧建依別写壇からは7人、ゲストが2人。
ゲストの一人は歴史民俗資料館の学芸員の女性で、
故・田辺寿男さんを通じてT吉(弟)さん他の方たちと交流があり、
田辺さんの本を出すにあたって尽力された方とのこと。
その辺の所、会や仲間たちから遠ざかってたので詳しく知らないんですよね。
もうひと方は地元の新聞社の方で、
今は退職されていて専門委員として写真部勤務。
T吉(弟)さんや、現在同新聞で連載されてるK林さんと交流があるみたいで、
高校生の頃建依別のクラブ展を見たと語ってたから僕より5つくらい下かな?

「建依別写壇」と言ってもこのブログに訪れてる方は多分知らないだろうけど、
アサカメの全国写真クラブ紹介で取り上げられたこともあり、
それなりに「知る人ぞ知る」クラブでした。ま、

知る人ぞ知る=知らない人はシラナイ

だから当たり前の話なんだけど(笑)。
でも、学芸員の方には

「建依は、私の中ではレジェンド」

らしく、
なかなか上手く表現するもんだと、一人感心してましたw

ん?弟といちいち注釈つけてるんだったら「兄」はいないのか?
という話になってきますけど来てましたよ♪

20180520.jpg

この絵を描いてくれました。
道具をいつも持ち歩いているようで、カメラはちっちゃなコンパクトカメラ。
絵の道具のほうが荷物になりそうですw

絵の下にある本は何年か前、
高知で最高の文芸賞である「椋庵文学賞」を受賞したSさんの小説。
僕は以前、「高知の文学」かなにかに掲載された時読みました。
写真でも何冊か写真集出してるし、絵を描いてくれた爺さんともども85才。
まだまだ若いものには負けてはいないお二人です(酒量もw)



今日、ランキングが「写真」372位、「その他」131位に跳ね上がってました。
17日に同744位、264位まで上がってたんですが一旦下がり急上昇。
「FC2ブログランキング」というバナーをクリックしてもらうと現れる順位とは
また違うランキングみたいで、ホント、よく分かりません。




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シャッターチャンスの作り方w
あまりにもリアルなんで、本物かと思い額を横から覗き込んだ・・・
という話なんだけど、

きっかけは日本橋三越本店で開かれた 自身の個展をイラストを添えて振り返ったこと。個展の会期中、「作品を横から見ている方がとても多くて。なぜ皆さまそんなに額を見ているのだろうと不思議に思っていた」という今津さん。「確かに注文品だけど、めずらしい額でないような……」といぶかしんでいたところ、お客さんから「えっ(この作品は)油絵!? 立体じゃないの!?」という思わぬ反応が寄せられたのだそうです。


凄いですね。
でも、凄いで終わらないところが私のイマジネーション豊富なところw
若い頃、見えそで見えない超ミニを履いた女性のグラビア写真。
おもわず本を目の高さで水平にし、覗き込んだ経験ありませんか?
その経験があるかたはこの「苔の油絵」のお話しも納得ですねw
なのでワタシも納得ですw

こんなこと書くから女性の訪問客が来なくなるんだろうか?
でも、それがTAMARAだし、仕方ないねw

というわけで、今日は少し手抜きですがこれから昔在籍してた
「建依別写壇」の、最初で最後の「懇親会」。
遠方から来る方もおられるので16時開始だって。
早ぇよ(笑)

そういえば
「会合のためとはいっても、昼間から酒を飲むのはいかがなものか」
と、前橋本知事が呆れてましたなぁ・・・

この知事さん、官官接待廃止など、僕から見ればイイことなのに
かなり批判された政策もとりました。
前任者(*)が官僚出身で気配りな方だったけど、
橋本さんは言いたいことはズバズバと言い、
うつむき加減で話をされるので写真は撮りづらかったけど
僕は好きな方でしたね。
初めて知ったけどこんなこともあったようです。

平成11年のことですから、もう9年ほど前 (TAMARA注*この記事が書かれたのは2007年です)のことです。当時、肢体不自由児が通う若草養護学校には看護職員がいませんでした。生徒達の障害は年々重度化していて、タンが詰まった時など一刻も早く吸引するなどの対処が必要でしたが、家では親たちがやっているそういう行為を、学校では先生が行えなかったのです。なぜなら、「医療行為に当たるから」ということでした。そのため、発作を起こすと一刻を争う時に、時間をかけて病院まで運んでいたのです。

この事態をなんとか打破したいと、当時PTA会長をしていた夫は副会長だった県庁職員のお父さん達と活動をしていました。お母さん方のグループも動いていましたが、3年間ほど活動しても、当時の教育委員会は「医療行為は学校では行えない」と、断固として認めてくれませんでした。

「何かあったら、子供達が大変なのに」「安心して、子供達を学校へ送り出したい」ということは、当時の保護者たちの切なる願いでもありました。そしてとうとう、「知事に直訴をしよう」ということになったのです。教育委員会を無視した頭越しの行為ですから、本当はかなりまずいことだったのでしょうが…。

橋本知事は熱心に話を聞いてくださり、「何が問題でこれができないのか」と職員に尋ねた上で、「それ(看護職員の配置)はいいことだから、ぜひそうしましょう」と約束してくださったそうです。まさに、鶴の一声でした。こうして、子供達は不慮の発作の不安から逃れることができたのです。



ほんじゃ行ってきま〜す。
てか、なんとなく長文になってるわ。
ま、引用ばかりだけどw



(*)
N知事が退職間際、県外客を招いての会合後の、懇親会でのお話し。
Sダンススクールの踊り子隊が例によってよさこい披露。
このグループはジャズダンス教室が母体となったるため踊り子も
若い女性が多く、踊りも派手。その綺麗な御御足を頭上高く
「ハイハイ」と上げたりしながら客席の間を縫うように進みます。
乾杯直後でまだ壇上にいた知事を見ますに、
グラス片手に口をポカーンと開け顔はニンマリ。
知事も男やのぉと、カメラを構えファインダーを覗く。
と、知事の手にあるビールグラスが徐々に前に傾いていく。
驚きの余り手の力が抜けているんでしょう。

「知事さん、グラスグラス」

グラスに注意喚起するよう呼びかけると、
ハッと我に返った知事さんがこちらを見、照れ笑い

今だ!シャッターチャーーーーンスw





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